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配慮を受ける側は、もっと配慮する側の事情を汲む必要があると思う

 今回は昨日あたりからSNSなどで話題になっている、車いすユーザーに対するイオンシネマの対応と謝罪騒動について、障害当事者の一人として個人的に思うことや感じたことをつらつらと書いてみたいと思う。

 Yahoo!ニュースの記事やコメント、さらにXやフェイスブックでフォロワーさんがシェアしていた、今回発端となった車いすインフルエンサーの投稿を読んだ限り、どちらの言い分も間違いではないと思う。
 そりゃあそれまでちゃんと対応してくれていたお店や施設から、「今後はここ以外のところに行ってください」的なことを突然言われたら、当事者としてはショックだろう。私ももし同じようなことを言われたら、とても悲しいし泣きたくもなるだろう。
 しかしその一方で、人手が足りないからという映画館側の事情も分かる。
 それに映画館側の、「この劇場は御覧の通り段差があって危なくてお手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえると、お互いい気分でいられるのではないでしょうか」というような言葉のチョイスはとても丁寧な物言いで、映画館側の妥協点を提示しながらも、当事者側にも少しでも歩み寄ろうとしてくれている心遣いを私は感じたのだ。

 先に書いておくが、私は車いすユーザーは映画館に行くなとかそのようなことを言いたいわけではない。またさきほども書いたように、今後の対応を断られた車いすインフルエンサーが感じた悔しさや怒りもよく分かる(つもりではある)。
 しかし今回の件に限らず、配慮を受ける側は、もっと配慮する側の事情や気持ちを汲む必要があると思う。そして配慮を受ける側も、周りへの配慮が必要なんじゃないだろうかと思うのだ。
 障碍があっても、ガイドヘルパーなどの制度を利用して自由に外出できるようになってきたり、SNSなどを駆使して、弱者でも気軽に声を挙げやすくなったことで、障碍者という存在が世の中に認められるようになりつつある今だからこそ、そういった心がけはものすごくだいじだと思う。
 そのようなことを、私は今回の件を通して改めて強く感じたのである。

※言葉足らずな文章で、読んでくれた方に対して不快な思いをさせてしまっていたら申し訳ありませんでした。

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