こんど地元に帰る時には
東海道新幹線の発着メロディーが、トキオの「アンビシャス・ジャパン」から、Uaさんの「会いに行こう」に変わった。
「アンビシャス・ジャパン」が東海道新幹線の発着メロディーとして使われるようになってから今年で20年になるそうだ。
この曲がリリースされたのは高校生の頃だったと記憶している。
そう考えるとずいぶん長くこの曲が使われていたんだなあと驚いた。
そういえば「アンビシャス・ジャパン」が使用される前の東海道新幹線の発着メロディーは何だったのだろうか。
それがもう思い出せないぐらい、東海道新幹線といえば「アンビシャス・ジャパン」だったのかもしれない。
私が人生で初めて新幹線に乗ったのは、5歳か6歳ぐらいの頃。足つぼマッサージだか何かで病気を治してくれる人が居ると知った祖母に連れられて静岡まで行った時だった。
生まれつき目が見えなかったことに加え、その頃の私には気管支喘息とアトピーがあった(喘息は高学年あたりから症状はほぼ出ていないが、アトピーは今でもある)。さらに祖父もリュウマチを抱えていた。
そんな我々をどうにかして治してあげたいという祖母のよけいなおせっかいにより、今思うとかなり怪しい民間療法か宗教以外に考えられないようなやばいところに連れて行かされたのだった。
というかむしろその時の私は行った場所よりも新幹線の方が怖かった。ホームで自分たちが乗る新幹線を待っている時に、浜松駅を通過するひかりやのぞみが来る前の、耳にキーンとくるような音はもちろん、走り去っていく時の轟音がとにかく怖かった。
それらの音の衝撃があまりにも強すぎて、初めて新幹線に乗った時のことはほとんど覚えていない。
ちなみに静岡の足つぼマッサージだかの人は、本当にやばい宗教か何かだったようで、後日摘発されたと聞いている。
思えば私が東海道新幹線をよく利用するようになったのは、地元の盲学校の高等部を卒業した後、京都府立盲学校の音楽科に入ってからだった。
浜松から京都までの行き帰りにはいつも東海道新幹線を使っていた。
音楽科を出てからも、12年前所沢の某施設に1度目の自立訓練を受けに行った時にも、数年前縁あって群馬に住むことになった時にも、今年の3月から2度目の自立訓練を受けるために今居る大阪の某施設に入所する時だって、東海道新幹線に乗っていた。
そんな時いつでも流れていたのが「アンビシャス・ジャパン」だった。
私は鉄道にはあまり興味が無い方なので、発着メロディーにもそれほど愛着は感じていない。しかしこれだけ長く親しまれてきた「アンビシャス・ジャパン」が終わってしまったと聞くと、何だかとても寂しい気持ちになる。
でもその一方で、新しい発着メロディーの「会いに行こう」がどんな感じで流れるんだろうと期待も膨らむ。
こんど地元に帰る時には、「アンビシャス・ジャパン」ではなく「会いに行こう」になっているのだ。そう思うと東海道新幹線に乗るのが今からとても楽しみになってくる。
自室のエアコンが壊れていることもあって、1番暑いお盆には帰省せず、その代わり9月の連休の時に帰ろうと思っている。発着メロディーが「会いに行こう」に変わってからの東海道新幹線に乗れるのはもう少し先になりそうだ。