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甲子園にはいつも私の母校が無い
今日から高校野球の全国大会が始まった。
私は高校野球どころか、スポーツ全般あまり興味が無い人間である。
しかし大阪に来てから朝はほぼ毎日ABCラジオをつけているので、この日も高校野球の開会式の中継を何となく聞いていた。
そういえば我が地元静岡は今年はどこが出るんだろうと、入場行進をぼんやりと聞いていると、なんと姉の母校だった。
それと初日の第2試合に、X(Twitter)やクラブハウスなどで繋がっているオンライン上の知人の息子さんが出るという。
高校野球に興味は無くとも、身内の母校や知っている人の関係者が出ると聞くと、何だか応援したくなってくる。
言うまでもないが、甲子園は目が見えている人たちが通う全国の一般の高校が参加する大会だ。
私は高校も地元の盲学校だったので、当然甲子園にはいつも私の母校が無い。だからよけいに甲子園には馴染みが無いのかもしれない。そんなことも、私が高校野球に興味が持てない理由の一つなのだと思う。
そのような話で思い出すことがある。
それはA型作業所での昼休み、みんなはどこの高校出身かという話題が出た時だった。
その作業所には全盲の視覚障碍者は私一人だけで、後は知的や精神や身体障碍者がほとんどだった。その中の半分ぐらいが一般の高校を出ていて、養護学校や聾学校といった特別支援学校系の学校を出ている人は、私を含めても2.3人ほどしか居なかったと思う。
「僕○○高校」
「○○ってサッカー強いよね」
「私は○○」
などと盛り上がる話をぼーっと聞いていると、ついに私のところにもその質問が回ってきた、
「ねえ、羽田さんは高校どこなの?」
「あっ、えーっと、盲学校」
「えっ…?」
私がそう答えた時、周りの空気が変わったのが分かった。
「あの、視覚特別支援学校」
現在の名前で言い直してみても、その空気は変わらなかった。
「どこだっけ?」
その内の一人が言いにくそうに聞いてきた。
詳細な町名を答えると、
「もしかしてあそこ?」
とようやく少し分かってくれた。
そのぐらい盲学校(現在は視覚特別支援学校)って認知されていないのかーとショックだった。
自分の出身校を知っている人が居ないのだ。
改めて目が見えない自分は周りとは違う存在なのだと思わされた瞬間だった。
私が「盲学校」と言った時の、あの一瞬凍り付いたような微妙な反応と空気は今でも忘れられない。
例によって甲子園には今年も当然我が母校の名前は無い。
それでも盲学校には高校野球の大会は無いが、グランドソフトボール(盲人野球)の大会はあった。
我が母校も何年か前の全国大会で優勝している。
しかし近年の盲学校の生徒数の減少の影響もあるのか、数年前に大会が終了してしまった。視覚障碍者スポーツを少しでも世の中に知ってもらえるようなきっかけになったかもしれなかったのに残念である。
何だかこのままではどんどんネガティブモードに突入しそうなので、今日はこのぐらいにしておこう。
この下書きを終えようとしている14時15分現在、知人の息子さんが出ている第2試合はどんな感じだろうか。再びラジオをつけてみるか。