高校の頃から好きだったゴッチと自分も今同じnoteに居る
前前回の記事で、中学・高校とモー娘。、およびハロプロにどはまりしていたと書いた。
しかしそのブームも高2ぐらいから少しづつ下火になっていった。
というのもこんどはasiankung-fu-generation(以下アジカンと記す)にはまるようになったからだ。今回はそんな話である。
特にボーカル・ギターの後藤正文さん(以下ゴッチと記す)には、文字通り恋していた。
アジカンにはまるまでは、それこそハロプロやexileなどの流行りのJ-popばかり聞いていた。
そんな私が本格的にJ-rockを聞くようになった最初のきっかけはアジカンだった。彼らの3枚目のシングル『サイレン』にとても衝撃を受けたのだ。
その後バンドを組んでオリジナル曲を作りたいと思うようになり、その最初のステップとして詩を書き始めたのもアジカンだった。
さらに音楽系の学校に入れば、気の会う仲間とバンドが組めるだろうという不純な動機から、音楽科がある盲学校に入ったのもアジカンだった。
このようにアジカンは今の私を作る上での大きな要素になっているのかもしれない。
ゴッチ、およびアジカンが好きなあまり、人生で初めてファンクラブという物に入会したいと思うようになった。
しかし全盲の私がファンクラブに入るには一つ問題があった。それはファンクラブから届く会報誌が読めないことだ。
その当時はプライベート点訳サービスの情報どころか、その存在すら知らなかった。
そのことを某ビジュアル系バンドのファンクラブに入っていた姉に話してみたら、こう提案された。
「それならモバイル公式サイトに入ればいいんじゃない?そっちの方が携帯から自分で見られるじゃん」
高校の頃から画面音声読み上げ機能が入った携帯で、友達とメール交換をしたり、ネット閲覧をしたりしていた。
姉の言うように、携帯の画面音声読み上げ機能を使えば、誰かに見てもらわなくても、自分が好きな時に、好きなアーティストの最新情報やコンテンツが読めるのだ。その当時でさえItの進歩はすごいなあと感動したものだった。
早速姉にアジカンのモバイル公式サイトをマイメニュー登録してもらった。
そのコンテンツの中で1番はまったのがゴッチの日記だった。
ラジオ番組でのトークやインタビューでは聞けないようなプライベートの話、さらにはレコーディングやライブの裏話などを、ゴッチ本人の言葉でダイレクトに読めるのは、ファンとしては至福の時だった。
またそれを読みながらあれやこれやと妄想を繰り広げるのも幸せな時間だった。
暇さえあればこっそりサイトを開いては、日記が更新されていないかをチェックしていたほど、ゴッチの日記はけだるい学校生活に刺激と潤いを与えてくれていた。
さらに日記を読むだけでは飽き足らず、アルバム『world world world』リリース時に、日記とサイト掲示板で行われていたゴッチへの質問企画に何度か書き込みもした(全く採用されなかったけれど)。
パソコンや携帯でインターネットを使うことができれば、好きなアーティストをよりリアルに感じられるのだ。それはファンクラブの会報誌や音楽雑誌が読めなかった全盲者にとって、ものすごく革命的なことだったのだ。
しかしいつからだろうか。アジカンの新曲や最新情報、さらにはゴッチの日記の更新を追わなくなっていたのは…。
あれから10数年。様々なことが変わった。
いつしかガラ携では彼らのモバイル公式サイトが閲覧できなくなっていた。
そして私自身もずっとガラ携を使い続けていたのが、2年前からIphoneになった。
さらに学生時代はmixiしかやっていなかったSNSも、今ではツイッターやフェイスブックなどいろいろとやっている。
そんな中見つけてしまったのだ。ゴッチのnoteを…。
確かにここ何年かはアジカンの新曲や最新情報を追わなくなっていた。それでもあの頃聞いていた彼らの楽曲やアルバムは今でも好きでよく聞いている。
そんなアジカンにドはまりしていた学生時代、モバイル公式サイトのゴッチの日記を読み漁っていた自分を思い出して、迷わずフォローしてしまったのだ。
どうやらゴッチは現在noteで日記を投稿しているようだ。
あの頃と変わらない、いや、あの頃よりもさらに深みを増している言葉と文章…。
これだ!これこそがゴッチの日記なのだと、あの頃を思い出して懐かしい気持ちになった。
そんなゴッチのnoteを拝読していた朝、はたと気がついてしまった。
自分も今ゴッチと同じここnoteでこうして文章を投稿しているのだということに…。
自分の言葉や文章なんて、ゴッチと比べるのはおこがましいにもほどがある。それでも高校の頃から好きだったゴッチと、自分も今同じnoteで活動しているのだ。そう思うと、何だかとても感慨深い気持ちになる。
そういう意味でもIt技術の進歩はすごいなあとつくづく感じるのだった。