ハサミの練習
とあるところに短いお手紙を書かなければならなくなった。
だがb5サイズの点字紙では、手元にある小さな封筒には入れにくいし、手紙を折りたたんだことで、点字がつぶれて読みにくくなるのも困ると思った。
そこで点字紙を半分に切ることにした。
その時何年かぶりにハサミを使った。
私はハサミを使うのがとても苦手だ。
それはただたんに全盲だからというわけではない。
点字紙を半分に折って、折り目の中にハサミの歯の片方を入れる。
そして左手で折った山の方をたどりながら、右手でハサミを動かしていると、盲学校の小学部の時の自立活動の授業でやったハサミの練習を思い出した。
盲学校では、国語・算数・理科・社会などの一般的な事業の他に、自立活動という授業があった。
これは生徒がそれぞれの目の状態や個々の課題に併せて、将来自立した生活を送れるようにするための技術を身に着ける授業だ。
その授業でハサミの練習をさせられたのだ。
まず右手の親指と中指をそれぞれハサミの持ちての穴に入れてハサミを開くだけでも、指を切るんじゃないかと怖かった。
どうにかそれに慣れると、こんどは二つに折った紙を半分に切る練習をした。
左手で紙の折り目の上をたどりながら、右手でハサミを動かしていくのだが、この動作がものすごく怖かった。
右手に持ったハサミが、左手の方に近づいてくると、やはり指を切ってしまったらどうしようとビクビクしてしまい、思わず左手を紙から離してしまうのだ。
すると紙を切っているハサミはバランスを失って、真っすぐの方向を保てなくなる。
それにより半分に切れた紙は、いびつで不格好な形になってしまうのだった。
「だめ左手を離しちゃ。ほら、紙がちゃんと真っすぐに切れてないでしょう」
そうして切り終えると担任のr先生から強く叱責された。
「ハサミの歯が怖い」
まだ少ない語彙力をどうにか絞りだして、私は先生にその恐怖を訴えた。
しかし、
「ハサミの歯が当たっただけじゃ指は切れないから」
r先生はそうおっしゃるだけだった。
そう言われても怖いものは怖いのだ。
しかしそんな私の訴えは聞き入れてもらえず、その後も何度も何度もハサミで紙を切る練習をさせられたのだった。
ハサミの歯への恐怖心が克服されないまま…。
そう、私はハサミその物が怖いわけではなく、真っすぐに切れないと先生から叱責されることが怖かったのだ。
私がハサミを使うのが今だに苦手な1番の理由はこれだった。
何度も何度もハサミの練習をさせられて、うまく切れないと叱責される。
そのうちに自分はハサミは使えないんだと自信が無くなっていったのだ。
それでもr先生にはきっと分からないのだろう。
切っている紙を持つ左手に向かって、右手に持つハサミの歯が近づいてくる恐怖を。
なぜならr先生は目が見えているからだ。
目が見えている人に、全盲の人が感じている本当の恐怖など分からないのだ。
それは私のような生まれつき全盲の視覚障碍者が、目が見えるってどんなことなのかが分からないのと同じように。
盲学校の先生が、見えている自分の感覚だけで視覚障碍者と接したり、物を教えたりするのはどうなんだろうと思う。
目が見えない、あるいは見えにくい生徒が、どういったところが怖いのかをちゃんと聞き出して、どうしたら怖いと感じなくなるのかを一緒に考えてくれる先生がもっと増えてほしい。
もしもあの時にそんな先生がいてくれたら、今頃私は怖がらずに自信を持ってハサミを使えるようになっていたのかもしれない。