個人を尊重する組織を目指して~誰もが意見を言い合えるコミュニティづくり~
組織の中で、それぞれの個人の生き方や考え方を尊重する。さらには、上司も部下も関係なく自分の意見を言いあい、組織全体の成長や変化へと繋げていく。それは理想でしかないのでしょうか。
普段は個人で活動をしながら、時にチームとなってプロジェクトに取り組む建築家集団「HandiHouse project」創業時は4人だったメンバーが、2023年には22人に。創業時と同じやり方では関係も希薄になり衰退してしまうかもしれないと危機感を感じ、2022年、今後何を大切にしながら活動をしていくのか、1年間の話し合いを経て活動方針を改めました。
年齢も経歴も様々なメンバーが話し合いの過程で見つけた、全員が意見を出し合えるコミュニティづくりとは。創業メンバーの2人と、2023年に独立した若手メンバーへのインタビューを通してご紹介します。
メンバーの増加に伴い コミュニケーションの方法も変えていく
石垣:メンバーの増加に伴い、チームの横のつながりが希薄になっていることに課題を感じて、2022年、どうしたら「居心地の良いコミュニティづくり」ができるのかを話し合ってきました。
普段は個々のチームで活動をしていて現場もバラバラですし、引き渡し日が決まっているプロジェクトをほとんどの人が抱えている状態で。そんな中、22人全員が「コミュニティづくり」について時間を割いて話し合えたこと自体が、最初の難関を乗り越えたように感じていました。
創業時の12年前、創業メンバー4人で活動をしていた当初は、どんなチームだったんですか?メンバー間でのコミュニケーションの取り方は、今とは全く違いますよね。
裕一:当時は、4人全員が会社を辞めて独立したてで。駆け出しだったこともあって、全員が施工できたわけでもないし、設計も数年ぐらいの実務経験だったので、それぞれが足りない部分を補い合いながら、一つ一つプロジェクトをつくっていましたね。4人で一つの現場に入って、わちゃわちゃやってて。今思えば、半分遊んでたみたいな感じで(笑)
坂田:僕はちゃんとやってたよ(笑) 僕以外はAKB48にはまってて。
裕一:握手会よく行ってたんですよ。作業中もずっと曲を聴いてて。
石垣:・・・。
坂田:合コンに連れて行ってくれるって言われたので六本木の映画館までついていったら、パブリックビューイングで始まったのはAKBのコンサートだった…。仕方なく一緒に見ましたけど。
裕一:なんだよこれって怒ってたよね。
石垣:それくらいプライベートもべったり一緒にいたんですね…。
裕一:そう、べったりで。当時、4人全員が独身だったので、時間の全てを自分のために使えていて。現場が終わって、毎日のように飲みに行って。ハンディをやり始めて収入は会社員の頃と比べて減りましたが、とにかく楽しかった。
石垣:収入が減って、不安はなかったんですか。
裕一:建設会社の社員だった頃は、土日も休めず始発から終電まで働いていたので、逆に働きすぎだったのかなって思います。辞めてハンディを設立してからは自分の時間を持てるようになったので、収入が減っても考える時間ができたのが嬉しくて。家をつくるのってこんなに面白いんだって改めて気づけたんですよね。
でも当時、ハンディの仕事だけでは生活していけなくて。僕は会社員時代の貯金を削って生活をしていました。あらーきー(メンバーの荒木伸哉)はパスタ屋でバイトしてたよね。
坂田:うん。俺は結婚式場でバイトしてましたよ。25歳頃だったかと。
石垣:そうだったんですか!
坂田:バイトの方が稼げていましたね。
裕一:時間がとにかくたくさんあった。働いてはいましたけど、そこまでスケジュールを詰め詰めにしなくてもよかった。楽しいね、でも金ねぇなって言いながら、いつも4人で集まってたね。
坂田:その時楽しく生きることが目標だったね。ハンディでやってることが楽しいから、みんなそこにいた。
石垣:3年後、1人メンバーが増えましたね。すけさん(メンバーの山崎大輔)が入りました。
裕一:そう。4人それぞれが忙しくなってきて、メンバーを増やしたいねと話していたときに、すけさんから入りたいって連絡をもらったんですよね。
ある有名雑誌にハンディのことを取り上げてもらったこともあって、結構仕事の依頼をもらえるようになっていた時期で。それまでは、知り合いのつてが多かったけれど、初めてのお客さんから依頼が来るようになったのはその頃からだったと思う。
石垣:現場もバラバラになったんですか?
坂田:4人で1つの現場に入っていたのが、2人ずつ分かれて入るようになっていました。同時に2件動いていたりとかで。時々3件が同時期に重なることも。
裕一:個々につくるようになって、たまに応援に行ったりはしたけれど会う回数も減っていって。
石垣:すけさんは、常にみんなで活動すると思っていたのに、割とバラバラであまりコミュニケーションを取ってないことを不安に思ったそうですね。
裕一:ちょうど子どもが生まれたメンバーもいたりで、ライフステージががらりと変わった時期でもあったんですよね。そうなると時間の使い方もがらりと変わりますよね。だから今までのやり方ではうまくいかないこともあって。
坂田:すけさん、入ってみたら全然集まってなくてチーム感がないから、せめて月に1回くらいはみんなで集まろうよって言ってたね。
なおと:僕が感じた不安と同じですね(笑) 僕もホームページを見て、ビジョンに共感して、みんなでつくるっていうところに惹かれて入ったので。すけさんと同じく、思っていたよりもチーム感みたいなものがないなって思いましたね。いつもメンバーみんなで一緒につくっていると思っていたので。
裕一:最初はみんなでワイワイみたいなイメージを外向けにも出していたところがあったから。バンドみたいだねって言われたこともあった。でも、やりたかったのはバンドじゃなくて、家づくりに関わる人たちみんなでつくるということ、プロジェクトオーナー(施主)も参加してつくることだったので。個々が別々の現場で仕事をすることは、プロジェクトが増えれば自然なことかなって思っていました。
石垣:でも新たなメンバーが入って、コミュニケーションの取り方への課題が初めて出たわけですね。
坂田:そうなんですよね。4人で活動していたときは、基本的にずっと一緒にいるからいつでも相談できたので。まだガラケーのメンバーもいたくらいなので、LINEやSlackなどの便利なコミュニケーションツールは当時は無く…。でも、今よりも意思疎通はスムーズでした。毎日飲みに行ってたしね。
石垣:忙しくなったり、メンバーが増えるとコミュニケーションを取るのって難しくなるんでしょうか。
坂田:どうしても共有する時間が短くなると、バラバラに感じるんでしょうね。ある程度仕事をもらえるようになって忙しくなってくると、一緒にいる時間は自ずと少なくなっていきます。ただそれだけのことなんですけど。
創業メンバーの4人は3年間ずっと一緒にいたので、特に時間をかけて話さなくても何となくの共有ができている感じがしていて。
裕一:会ってなくてもね。
坂田:そう、会ってなくても。この部分は感覚が違うけれどこの部分は一緒だしっていうのがわかってるので。でも、後から入ってきた人とは関係の蓄積がないから、リスクを感じちゃうのかも。これは危ない、不安だっていう気持ちが出てきてしまう。だからこそ、その時々のメンバーに合わせて、コミュニケーションの形を変えていかなければいけないんだなと思いました。
裕一:うんうん、その都度変えていくのってすごく大事だなと思った。みんなの色んな考え方とか状況とかスタイルっていうのは、見ていても常に変化していっているのがよくわかるからね。
ハンディができて3年が経ったとき、状況に合わせて新しいメンバーを迎えて。4人での活動にこだわらずに変化していけたことで、いい方向に向かっていると思っているので。これが100人、200人と組織が大きくなっていっても壊れないように、そのときの組織の状況やメンバーを見ながら、どうコミュニケーションを取っていくのかを考えていきたいですね。
「個人のためのチーム」を目指して 全員が意見を言える仕組みづくり
石垣:ハンディは、所属メンバー全員が会費を支払って参加する形をとっています。今回、活動方針を改めるとともに、会費の見直しも全てみんなで話し合いました。
坂田:1年間、色んな形式で話し合いましたね。メンバーが22人まで増えたので、どうやったらみんなの意見をくみ取れるのか、答えを出すのが難関で。入ったばかりの人は意見は言いづらいだろうし。
坂田:ハンディがどこを目指すのか、何を大切にするのか、方向性を明確にしたいという意見を最初に言い出したのは、実は一人の若手メンバーでした。
石垣:そうでしたね。きっかけはインスタの運用について話し合うミーティングでした。
坂田:石垣さんと僕、かとちゃん(代表の加藤渓一)で毎週PRや組織全体について話していましたが、その中で、いつまで創業メンバーがハンディの運営について考え続けるんだろう。若手にも主体的に参加してほしいなっていう話になって。
石垣:まずは、独立して個人事業主でやっている若手メンバー4人に声をかけて、ハンディのインスタをどうしていくのが良いかを話し合う、定例ミーティングを設けました。少しでも主体的に関わってもらうために、インスタ運用を若手に任せようと。
坂田:そこで、「ハンディ全体の方針が見えないとインスタだけ話し合っても意味がない」っていう意見が出たんですよね。こうした意見をもらったことは今までなかったので、ちょっとワクワクしました。
坂田:独立してしばらくは、やっぱり自分の仕事をどううまくやっていくかを考えるだけで精一杯だと思うんですよね。どんどん仕事も増えていって、すごくそれが面白くなる頃でもあるので。そういった時期に、組織全体を今後どうしていくのかなんて感心がないだろうなと思っていたし、ベテランメンバーがやるところに乗っかっていこうっていう考えが強いんじゃないかと、正直なところ思っていたので。でも、もっとハンディを盛り上げていくためにはどうしていくのが良いのか、すごく興味を持ってくれていることがわかったんです。
なおと:僕もそのインスタ運用チームに入っていたのですが、当時はまだすけさんのチームに所属していて下積み中でした。
なおと:僕は5年前にハンディに入ったのですが、既にそのときからメンバーの交流が希薄な印象が強くて。個別に活動していることのほうが多くて、みんなで一緒に一つのものをつくっていると思って入ったのに、あれ?違うなって。もうメンバーが一緒に活動をすることはないのかな、いったいどういう団体になっていくんだろうって内心不安でした。なので、すけさんにお願いして、ハンディの組織運営に関わる時間をもらいました。少しでも、メンバーが密に関わりながら良いものを生み出していく、ハンディらしさを取り戻せたらいいなと思って。
石垣:なおとくんは、PRや組織運営を考えるチームにも自ら加わってくれて。まず最初は、全体の方針を決めることと、会費の見直しについて話し合うことからでしたね。
なおと:話し合う中で、自分自身も、ハンディで何をしていきたいかを以前よりも考えるようになって。結果、2023年に独立することにしました。
石垣:これまでもそれぞれの頭の中には考えがあったかもしれませんが、ちゃんとみんなで話し合った上で「個人のためのチーム」としてハンディが存在することを共有できたところは大きいと思います。全体で集まった時になかなか意見を言わない人の話も聞けてよかったですね。
坂田:そうですね。僕はほとんどのミーティングに参加しましたが、あまり話したことがなかった若手の意見も聞けてすごく面白かったですね。もうハンディは若返りとかがなく衰退していくのかなと思っていましたが、若手の熱い思いに触れることで、世代交代の可能性も見えて胸が高鳴りました。
裕一:よかったよね。これまで月に1回、全員でミーティングをしていましたが、どうしてもベテランメンバーの声が大きくて。その後に若い子たちは意見を言いにくいじゃないですか。会社とかでもよくあると思うんです。上司が発言して、それに賛同するだけみたいな。個人の意見をなかなか組織の中では聞いてもらえなかったり。
スプレッドシート上ではみんなが個々の意見を書いてくれて、全員が思っていることが見えるっていうのはすごくよかったよね。
坂田:意見を聞いていくと、オンラインじゃなくて、もっとリアルに会いたいっていう声が多くて。所属しているチームだけではなくて、他のチームの現場応援にも頻繁に行きたいっていう意見も多かったですね。これには驚きました。
坂田:ハンディはトップダウンの企業とかでもなく、同業者の組合のような組織なので、できる限りフラットな関係で意見交換ができるように、その時々に合うやり方を見つけてやっていかないと所属する意味も感じられないだろうなと。人材が資産のような団体なので、人を大事にするためにはコミュニケーションにコストをかけていいと思っています。
石垣さんのような、上司でも部下でもない、さらに建築関係の職業でもない立場の人が、みんなに考えていることを聞いてまとめていったところもよかったと思います。そういったコミュニケーションを専門にする担当者がもう一人いてもいいですよね。
裕一:コミュニティマネージャーとか。
坂田:そうそう。
石垣:社内広報のような専門職を置いている企業もありますよね。それくらい、組織のコミュニケーションっていうのは重要になってきているってことですね。ところで、何で言いづらい雰囲気ができたりするんでしょうか。
なおと:雇われている身だと意見を言いづらいっていうのはあると思います。立場上、仕方ないですけど。僕もつい先日までそういった立場だったのでよくわかります。目の前の仕事でいっぱいいっぱいで、俯瞰的に全体を見られない。
裕一:でもさ、今回改めて、個人のためのチーム、団体っていうことを確認しあったわけで、所属チームのスタッフでいるときとハンディとして個人活動をするときは違ってもいいんじゃないかと思う。スタッフでいてもハンディに入るかどうかは自由で、自分の意思で入れるわけだから。まあでも、スタッフの子たちが言いやすいような環境を作るために僕が何かやり方を考えなきゃいけないんだよね…(笑)
坂田:僕は言いやすいような環境を上司がつくるのって構造的に無理なんじゃないかと思ってる。上司が言えないような空気をつくっているだけじゃなくて、スタッフの子たちもそういった空気を自らつくっているところもあるだろうし。飲み会を何回もやればその空気がなくなるのかっていうとそうでもないし。だから、環境をつくるのは難しいと思うので、コミュニケーションの仕組みを考えればいいんじゃないかなと。
石垣:他のチームリーダーにはいかがですか?言いやすさはありますか?
なおと:それはあると思います。僕も直属の上司に対して、ハンディの活動のときはフラットにいこうっていうのはなかなか難しいと思います(笑) 独立したので少し変わるのかもしれませんが。
坂田:他のチームのベテランに気軽に意見を言ったり相談できるのであれば、そこをうまくコミュニケーションの仕組みに取り入れていくのもいいのかも。
なおとはつい先日までスタッフの子たちと同じ立場だったから、その子たちに一番近い存在なわけで。だから一番気持ちがわかるかも知れないし、お互いに意見を言いやすい立場なんじゃないかな。今後は僕たちではなくて、なおとたちの世代がハンディを引っ張っていってほしいですね。
石垣:1年間の話し合いの中で、特に会費の金額はみんなが納得いく形にするのは難しかったかと思います。
坂田:全員が納得する形にできたかはわかりませんが、みんな自分事として意見を出し合えたんじゃないかなと思います。特にお金に関わることなので、全員の意見を聞く必要がありました。
ハンディ全体を前進していけるような力に変えていくために、何が一番良い方法なのかを考えなくてはいけない場面はこれからも出てくると思います。50人、100人とメンバーが増えたときにどういうコミュニケーションの取り方だったらうまくいくのか、そのときのメンバー構成にフィットする形を常に見い出し続ける必要があるんだなと、今回の話し合いの過程でよくわかりましたね。
石垣:ハンディから出ることを選んだスタッフの人もいましたね。今までは、メンバーのチームに所属して働くスタッフは自動的にハンディに入ることが暗黙の了解になっていましたが、今回は、スタッフにも会費の支払いを負担してもらって、加入するのか否かを個人の判断に委ねることにしました。その上で、加入しないことを選択したスタッフがいたことはいかがでしょう?
裕一:僕のチームからもハンディから出たスタッフがいましたが、変わらず僕のチームの仕事をしています。彼との関わり方は今まで通りで何も変わったところはありません。中田製作所の家づくりは、ハンディと同じやり方でやっているので、変わらずハンディのやり方でできますしね。今はハンディの活動ではないところに時間を費やしたいという彼の希望は理解できますし、尊重してあげたいと思っています。
石垣:自分で進みたい道、やりたいことを選べてチームメンバーとの関係も壊れないでいる。その柔軟さがすごくいいですね。
ハンディ流 コミュニケーションの仕組みづくり
坂田:今、10年前よりもはるかにたくさんのプロジェクトが、同時に動いていますよね。同じプロジェクトを担当すると一気に距離が縮まったり、相手の考えが言わなくてもわかるようになったり。現場ごとに、初期の4人で活動していた頃のようなことが起きているように感じてて。
裕一:目の前に同じ目標があると結束が固まるよね。
坂田:違うチームやプロジェクトのメンバー同士の繋がりをどうやったら作れるのかというところが課題ですね。
石垣:月に1度のオンラインミーティングでは進捗の共有であったり相談事であったり、そういう場はありますけど、それぞれの現場が離れているので希薄に感じるところもありますよね。若手メンバーへのインタビューのときも、みんなが何をしていて何を考えているのかが見えないことに対する不安の声もありました。
裕一:僕はハンディは学校みたいなところだと思っていて。例えば、大学では建築学科に入っても、構造を学びたい人もいれば、都市計画をやりたい人もいたりでバラバラです。ゼミに入ってそこで仲間をつくる人もいたり、興味もやり方も違っていて、自分で自分の道を選択していける。なので、ハンディも一つの場所に全員を集めて何かやらなきゃいけないっていう団体ではないと思っているんですよね。だけど、全体としてはハンディという所属の場があって。
石垣:なるほど。
裕一:ハンディではすでにDIY賃貸とか、シーサイドリビング(海の家)、子どもと一緒につくるkoproなど、各々がやりたいことをプロジェクト単位にして動いていますよね。
石垣:そうですね。最近では、PRとか組織運営に関しても「未来会議」という名前に変えて、代表と広報が話し合う会議ではなくて、誰でも参加できるプロジェクトに変えて再スタートしました。
裕一:個々が複数のプロジェクトに参加をすることで、チームを横断するようになると横の繋がりも生まれていくと思っていて。自分は何を今一番やりたいのかを考えて、プロジェクトを立ち上げて、賛同者を募って。一緒に共同でやる中で結束を強くしていく方法は今のハンディにフィットしたコミュニケーションの取り方だと思います。
石垣:オーナーさんにインタビューをしていても感じましたが、一緒に何かをつくることって、コミュニケーションを取るための手段の一つですよね。現場で、ああでもないこうでもないって話しあうきっかけを生むための、あくまでも手段であって。それをメンバー同士でも活発にやっていくということですね。
裕一:そのためには、僕もスタッフには、中田製作所の仕事以外の隙間時間をつくってあげないと(笑) ハンディのことを考えたり、ハンディメンバーと一緒に活動をする時間を。他のチームに応援に行くこともすごく勉強になるし、コミュニケーションも盛んに取ってほしい。
坂田:言ったね。今の録音しておかないと(笑)
石垣:でもチームリーダーとしては難しいところもありますよね。引き渡しには間に合わせなきゃいけないし。
裕一: 確かにそういうのはあるかもしれないけど、他の世界を見て学んで、スタッフの子たちがさらに成長してくれることってめちゃくちゃいいことじゃないですか。いろんなところでいろんなことを吸収することって大事なので、僕らの仕事だけで収まって欲しくないっていうのもあるので。建築以外のことでもいいし、映画を見に行ったり音楽を聞いたりとか、いろんな感性を学んでほしい。
そうすれば、中田製作所自体も大きく成長できる。チーム全体の可能性を広げていく意味でも良いと思っています。
石垣:そうですね。そんな若手に期待することはありますか?
裕一:ハンディに来た仕事でもそうでない仕事でも、なるべくハンディ流のやり方を伝えていってほしいかな。
今までDIYをやったことがなかったオーナーさんや、一緒に現場でつくることを希望していなかったオーナーさんでも、ちょっとやってみたらすごくハマる人もいるので。少しでもそういったアプローチをオーナーさんに対してやっていってほしいですね。ハンディと一緒に家をつくった経験が、その人の暮らしを良い方向に変えたり、つくる人も住む人も、家に対して柔軟な考え方になっていったら。きっと建築業界全体が良くなっていくはずだから。
坂田:そうだね。きっと僕たちが最初にやり始めた頃にはできなかったことも、今仲間の人数が増えていることもあってできるようになっているだろうから。人数が増えると、いろんな考えや意見が生まれて。その分問題も起きるだろうけれど、横の繋がりを大事にしながら、どんな風に組織が成長していくのかすごく興味があります。
石垣:想像以上の世界が待っているかもしれないですね。
坂田:想像を超えてほしいです。ハンディが存続し続けながらどう変化していけるのかを傍で見ていられるのは楽しみで。若い子たちが楽しそうにやってるのを遠目から見ながら、ああいいな、羨ましいなって(笑)
裕一:あの頃の自分たちを重ね合わせたりなんかして。また飲みにいったこいつら、いいなって(笑)。60歳くらいになってまた現場に戻ったりして…。
坂田:ちょっと混ぜてよって。やっぱこういうときが一番楽しいんだよって。
なおと:いやいや…。ベテランの人たちにはぜひ、僕たちの先を進み続けてほしいです(笑)それぞれのフェーズの人たちが刺激しあいながら成長していける組織になるように。僕も組織運営についてどんどん意見を言って、良い仕組みづくりを考えていきたいと思います。
「個人のためのチーム」であり続けるために。
HandiHouse projectは、毎年活動方針を全員で話し合っていきます。コミュニケーションの仕組みも、その時々のメンバーの状況に合わせて一番フィットする方法を探りながら。変化に対して柔軟に、新しいことや面白いことに挑戦していこうと思います!
取材・文 石垣藍子