社会の問題は自分の問題である
京都という地で自分のモチベーションを高める。
京都に用があり、今京都にいる。
初日は休みの日。旧友たちに会い、自分の師匠である先生とお酒を飲み交わし、いろいろな話をした。
みんなね、とにかく熱い!(一番手前の人は寝てましたが・・・)
それぞれに共通することは“お寺”というもの。けれども、今のそれぞれの立場は違っていて、それぞれがそれぞれの役割を持ちながら日々努力している。“悩み”や“葛藤”はありながらも、その中で自分ができることを模索している。
僕の隣が師匠である先生。本当に、この先生と話していると「もっとやらなきゃいけないことがあるんじゃないか!?もっと頑張らなきゃいけない!」と、そんな気持ちにさせてくれる。すごくモチベーションは高まるし、エネルギーをもらえる。
思慮を深める
正直、難しかった。
でも、わかるわからないの前に、“考える時間”ってすごく大切だなとあらためて気付いた。前に、「お寺は特別な場所ではなく、自分自身を見つめる機会を与えてくれる場所」であるということを書いた。
考えていく、思慮を深めていく、そういう過程で大きなインプットは生じるし、またいろいろな意見の人と語り合うことでアウトプットにつながり、そして共有できる。この“繫がり”も大事な“連鎖”の一つであるということ。
なおのこと思慮を深めることができて、自分のモチベーションは高まった。
テーマ
テーマは『自分のこととして他人のことを考えられる慈悲があるか』だった。それが仏教の永遠のテーマであるということも強調されていた。
世の中では、様々な問題がある。それをマスメディアが報道し、それを見た自分自身が他人事のように考え、ときに批判する。それをいかに自分の問題であると自覚的に考えることができるかどうか。
自覚とは、自分自身を根源的に見つめ直すこと
僕がキーワードにあげている“繋がり”。
社会というものの一部に自分自身が存在し、その自分自身もこの社会を形成している一員であるということ。そういう意味でも繋がりというのは、人間として生まれた宿命であって、その根源的な生命性みたいなものを自覚しているか。
これってすごく難しいけど、なんとなく自分自身を根源的に見つめ直していく作業が繰り返されなければ、良くなるものも良くならないと思う。
だから他人事として否定や批判をするのは簡単だが、自分のこととして、自分の問題として考えることができるかどうか。すごく問われている。
言い換えれば、数ある問題や悲惨な事件の根本的問題は、決して加害者ひとりの問題ではない。
そういう問題が起きる社会の一部に自分自身も確かに存在しているということ。
考えることは止まらないし、思慮は深まるばかり。。。
そんな熱い議論がなされていて、非常に学ばせていただいた。また旧友たちが今でもいろいろなことにアンテナを張っていて、京都という場所でそういう議論を常にしていることに少し羨ましさも感じた。
また次会えるときに、自分自身はもっと成長していたいもの。
種まき告知
嬉しいことに「お寺×◯◯」について「何をするの?」とか「楽しみ!」とか、少なからず期待の声をいただいている。着々と準備を進めている中で、少しずつ告知していきたい。
近日発表と同時に募集を開始する。
まだ準備しなければならないことはたくさんあるが、多くの人に来てもらいたい。また、日本全国から熱いハンドボーラーがハンドボール後進県「新潟」に集まって、ハンドボールを通して多くの学びを持ち帰ってほしい。
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