漠然と、人間
私たちは所詮人間である。脳の仕組みが原始から変わらないとかそういう話をしたいのではない。パソコン、スマートフォン、そこを開けば宇宙のような、果てのない言葉達が拡がっている。生涯かけても全てに目を通すことは出来ない程の思想や情報の海。掌に四次元ポケットを持ち歩いているのと大差ないだろう。故に、私たちは漠然と人間以上になったと錯覚している気がする。私はそうであった。狩りをしていた時代じゃないんだから、とご飯を食べ、眠り、働く。その営みをバカにしていたように思う。
人間は所詮人間なのだ。生活や無駄を楽しみ、愛している。バッドエンドが決まっている恋をすることも、歯磨きをした後に少し考えてお菓子を食べるのも、夜風を感じながら1駅歩くことも。全てが愛おしい無駄である。全てを効率化してしまっては豊かとは言えないだろう。無駄こそが思考を彩る。バニラの香りがするお菓子は、心を幸福で満たすのだから。
ここからは日記です
・音楽は物理現象の連続でしかないことに気付いてしまった。言葉も美術も。人間は地球が大好きなのだ。
・正解の反対は間違いである事象が世の中には存在する。真反対も正解と言い切れることは数少ないね。
・見知らぬ誰かのツイート(ポスト?)やnoteに涙する夜が、たまらなく愛おしくて感じる。
・友達がよくウォッチパーティー募集をしている。一緒に見た思い出が作品に宿る。ピカソの言葉を思い出す。
・こんなnoteを書いたのに、愛すべき無駄と本物の無駄の境界線が少しぼやけている。探さなければ。
・自由になる瞬間が少なからずある。音楽と共鳴する瞬間や、自我を見失うほどの没入。あとは、眠りに着く前のもう一度目覚めるか不安になる程の脳のシャットダウン。
・詳しい人の皮を被ったプライドの高いミーハーが居ることを知る。少しだけ可愛く思う。少しだけね。
・喫茶店でハーブティーを頼んだら、カモミールそのものが浮いていて笑顔になった。隣のおばあちゃんがケーキとコーヒーを嗜む所作に品があって、ときめいてしまった。
・共同生活、集団行動を克服したいと思わなくなった。私は私の生活を愛している。
・あまりに憎いことがあると、その原因の相手へ向けた怒りを原動力にすることすらイライラすることに気付いた。基本的に心が狭いけれど優しい振りをしている。ダンゴムシの群れの中で仲間を装っているワラジムシの気分(実際そんなのがいるからはわからないが。)
・素敵な言葉は限られていることに気付く。
・椅子を買い換えた。前の椅子は知らないネットショップで買った5000円の椅子。座面に謎の突起があって、よく分からないクッションを敷いて座っていたので足がつかないほど高さがあった。今までありがとう。
・祈ることは途方もない。その途方もなさが、対価なのかも。
おやすみなさい
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