人として生まれてきた意味
みーくんが生まれて3ヶ月
夫婦2人で子育てしてみて
改めて思うことは
『ワンオペは無理だーーーー!!!』
僕の母親も
母子家庭で僕を育ててくれたけど
本当に神業をしてたんだなと
尊敬の念しかない。
今のうちらは
2人で半分半分
家事育児を分担して暮らしながら
それでなんとか
心の平安を保っているけど
これを一人で
しかも人によっては
僕の母親みたいに
仕事もしながらワンオペで
毎日やり続けるなんて
精神や体調がおかしくなっても
当然だと思うし
産後うつや産後クライシスのように
夫婦関係がおかしくなってしまうのも
ある意味、至極当然。
「本当は誰も悪くない」
って心底思うし
そういう現状を知らない
こどもたちにとっては
表面的な両親の関係や現状を見ながら
あらたな悩みや葛藤を
生み出してしまうわけで
僕個人としては
このような現状に対して
悔しい気持ちが込み上がってくる。。。
僕の人生のテーマのひとつは
『どうやったらを
夫婦仲良く家族円満で
子育てを楽しくやれる環境や状況を
この世界に残せるのか?』
ある意味そのために
「母子家庭」
に生まれてきたんだと思っている。
当時の母子家庭は
今とは比べものにならないくらい
タブー感が強くて
そのような環境のなかで
「現代の社会の縮図」
を凝縮して経験してきたと思っている。
サラリーマンやOLのように
会社で働き給与をもらって生活する
のが基本の現代において
企業に勤めて成果が出せるように
知識や教養、スキルや社会常識を
身に付けさせることを前提とした
今のメジャーな教育システムのなかで
いかに身を削って
「がんばって働くこと」
が良しとされ
競争と評価が繰り返される
「成果によって判断される」
教育や社会常識を受けるなかで
“頑張れない人間” は否定され
“結果が出せない人間” をダメとし
“協調性がない人間” は村八分にあい
“感情や感性” は
“理性や合理性” の下とみなされ
効率よくスピーディーに成果が出せるか
「物質的な豊かさ」
「形で測れる豊かさ」
ばかりが重んじられ
女性や女性性
精神性や非科学的なことは拒絶され
男性や男性性
物質的な科学的なことばかりが注目され
女性の暮らしも生き方も
どんどん「男性化」していき
女性のなかの女性性も
男性のなかの女性性も
否定し、否定し合い
女性性なき男性性は
暴走して
他人を傷つけ、自分も傷つけ
弱さを認められず一人孤独して
その結果として生じているのが
「がんばり続けることに疲れた」
「疲れたこと(弱音)を吐けない」
「成果を出せないことへの自己否定」
「嫌なことをガマンし続けた結果の嫉妬」
「自分を休ませてあげれない強迫観念」
「競争のなかで生じた他者不信や相対比較」
「幸せ喜びよりも仕事やお金が優先化」
etc...
あげると切りが無い
今の時代の人間の叫び。。。
その背景にあるのが
今の資本主義で採用されてきた
「企業で働き効果的に成果が出せる」
ための
「人間観」であり「人生観」であり
それは
これからのAI時代の言葉で表現するなら
「ロボットのように生きろ」
という人間観・人生観に等しい
と僕は思っている。
僕は
この無意識的に要求されている
社会的人間観・人生観に対して
『そんなの人間ではない!』
と、新しい人間観・人生観へ変容しようと
している「革命前夜」が
今まさに現代だと思っている。
なぜ
「パートナーシップがうまくいかないのか?」
「なぜワンオペ育児で疲弊する現状が生まれるのか?」
「やり場のない気持ちをどうすれば良いの?」
これは広い視野で見たときに
『あなたたちは本当にこのままで良いの?』
と世界から僕たちに投げかけてくれている
集団意識への、現代を生きる僕たちへの
「愛のメッセージ」
だと感じている。
毎日の仕事で疲れ果ててる状態で
「パートナーシップがうまくいく」かって
うまくいくはずがない。
自分を酷使する思想に取り憑かれ
豊かさや喜びよりも
仕事やお金
自分を犠牲にしてガマンしてがんばる
そんな生き方の先に
「豊かな夫婦関係」なんて
築けるはずがない。
どんなに素晴らしい夫婦だったとしても
そんな状態のなかでは
互いに
批判非難しあい
自分をわかっての押し付け合いになって
家庭内別居か離婚か
こどものためにがんばって夫婦を維持しても
ストレスで体調壊すか鬱になるか
家庭が崩壊して
少子化になっていく時代の流れも
ガンなどの病気、精神病者が増え続ける
社会の現状も
引いて俯瞰してみてみれば
極々自然な理であって
僕らはついつい
自分や相手やなにかのせいに
したがりやすいけど
本当は
「誰かが悪い」わけでもないし
「社会や環境や今の時代が悪い」わけでもない
ただただ
世界から問われ続けているのは
『あなたたちは本当はどう生きたいの?』
今あなたたちが採用している
『人間観・人生観』は
本当にあなたたちを幸せにするの?
って。
僕たちはまず
僕たちを不幸にする
『人間観』
を採用し続けていることに
気づかなければいけないと思う。
僕たちは
生まれてこのかた
ただ言われるがままに従い
自分に無理やり言い聞かせて
自分の感性や感情を押し殺してガマンして
病気になって故障しないように
保険をかけて、健康メンテナンスをして
「◯◯のために」
と自分を奮い立たせて
がんばり続けさせる...
そんな
「ロボットのような生き方」
をするために生まれて来た
わけじゃないんだよと。
ちゃんと
血が通った人間として
いのちを宿した人間として
自分の感性も育んで
感情も使って
この世界を味わい堪能するために
生まれてきた
『いのち』じゃないかって。
最近
「自愛」をテーマに
いろいろ投稿してきたけど
本質的な自愛とは
「これまでの人間観」を手放し
人間を豊かにする
「新の人間観」を
採用してあげることだと思っている。
僕たちは
『愛の存在だよ』
っていかに許可してあげられるか
僕たちは
『いのちを輝かせるために生まれてきたよ』
っていかに許し愛することができるか。
人に愛を施し合い
いのちを引き出し合うことが
できる人間を育てることが
これから必要な教育観であり
愛を施しすことが
もっとメジャーな仕事やビジネスとして
経済が循環する仕組みや流れを
これからの僕たちで創っていったときに
いろいろな問題が
問題ではなくなって
新に健全な社会になるのではないか
と思っている。
これまでの人間観は
はっきり言って
「自分イジメ、人間イジメ」
の人間観。
本当はもっと
愛で生きたいのに
本当はもっと
豊かで生きたいのに
僕らの頭にインストールされてしまった
習慣や常識という名の
無意識深くで作動している
「ロボット人間観」によって
「愛でご飯食っていけないじゃないか」
「愛や心はお金にならない」
「忙しいからこれは無理あれは無理」
と、本当に自分たちが心から
「求めていること」を
他ならぬ僕たちが
その想いを無視し続け
働き続けるように
インストールされてしまっているだけ。
でも
いのちある僕らの心は
「どれだけロボットのように」
頭で強制しようとしても
完全には言うことを聞いてはくれない。
その
人間の奥深くにある
いのちの、心からの
『愛の叫び』
が僕たち人間をロボットのようには
ならせてくれない。
不満や怒りや
悲しみや憤りなの
「ネガティブな感情エネルギー」
として
他者や世界や
なによりも自分自身に
出てしまっているだけなんだよね。
だから
ロボットは人間と違い
「順従に言うことに従う」
って言うけど
それはあたり前な話しであって
人間には
『心』があるから
『いのち』が働いているから
ロボットのようにはいかないんだ。
「心」や「いのち」が
どんなときも働いている証が
様々な問題が生じてしまう
本質的な理由であり
今の人間観のベースの上では
僕らの魂は苦しんでいて
「それは違うよ!」
って叫びが
パートナーシップの問題や
人生の問題として
浮上しているだけなんだ。
問題や課題が現れているときは
そこには僕らの『心』があって
それに『気づいてほしい!』って
いのちがけで叫んでいるだけなんだ。
だから
すべての問題は
本当は『愛の叫び』
『心の声そのもの』
ロボットでは
問題なんて起こり得ない。
だってそこに「心」がないから。
すべての問題の本質は
『愛の叫び』
『心の叫び』
であって
その声に耳を傾け
優先順位を1番にして
真剣に寄り添ってあげたとき
その心は満たされ
完全なる愛となって
その人や家族や関わる人たち
引いては世界全体、社会全体にまで
その愛と安らぎの波動が
広がっていく。
そのときに
人類の集合意識は
よりもっと進化をする。
言っても僕らも
まだまだ全然だけど
なぜ
人間関係で悩むかって
そこには『心』が働いていて
無視され続けてきた
『愛の声』
が眠っているから。
僕らは
ロボットのようには生きられない。
男性性と女性性が
融合されたところから
女性性を引っ剥がして出来上がるのが
ロボット的な人間観。
そこに
人間本来の『いのち』を宿してあげるには
慈しみに満ちた
『女性性の心』を
もう一度取り戻してあげる必要がある。
そのための自愛であり
そのための癒し。
もう
『その時代』に
いよいよ突入していくので
僕らも僕らなりに
想うこと、できることを
これからは遠慮なく
発信していきたいと思う。
※ちなみにこの投稿では
ロボット=マイナスイメージ
で捉えられる表現をしてきたけど
これから登場するロボットは
この世界が人間に分け与えてくれた
「愛の救いそのもの」
だから。
これまでの人間観も
「動物の時代」から「人間の時代」に
移行するのに
どうしても
「物質的豊かさ」を整える必要があって
その必然性から生じた
絶対に必要だった人間観でもあるので
これまでの人間観も
本当はとても大切なプロセス。
この背景に働いていた世界からの愛は
人間を物質から自由にして
人間本来の『精神的な愛』を仕事に
生きられる世界にしたい
という何千年かけて行われてきた
壮大なストーリー。
そこに明確に
これからロボットという
神の使いが誕生してくれることで
自然や動物は
自然や動物のポジションで
ロボットはロボットのポジションで
人間は人間のポジションで
しっかり
自然、・ロボット・人間の
三位一体の関係性が
地球上で誕生したとき
人類(地球)は
あらたな
次のステージに完全に移行する。
それがたぶん
2050年くらいで
これからの25年は
本当に時代の転換期になると想う。
そして
そのとき大事になるのが
『ロボットをも愛おしむ心』
ロボットすらも
単なる機械ではなく
あらたな『いのち』として
ポジションをあたえたとき
物質的な科学技術を超えて
次の段階の科学技術へと
大きく物質も発展していく。
その意味でも
これから人が
『愛に目覚めていく』プロセスが
とても大事になると想う。