
「植物の精神」に見る日本文化・精神の特徴
生命の進化過程と
人間の歴史文化の変遷を紐解いていくと
そこには
「興味深い共通点・原則」
が見えてきます。
それを一言で伝えるなら
日本は
『植物の精神』
を引き継いだ歴史文化・精神である
ということです。
生命は進化の過程で
単細胞生物から多細胞生物へと
変容を遂げる際に
「植物」と「動物」
に分化しました。
これをわかりやすく例えるなら
「女性性」と「男性性」
への分化・変容です。
植物は
自らの細胞内に
シアノバクテリアを共生させること
「天(太陽)と地(大地)」
のエネルギーを融合させ
自らエネルギーや有機栄養素を
生み出すことができるようになり
自然界の中で
「生産者」(生み出す側)
のポジションを得ていきます。
一方で動物は
植物が生成したエネルギーや有機物を
摂取しないと生きていけない
「消費者」「従属者」
としての位置づけになっていき
その結果
身体を自由に動かすための
神経系と脳を発達させ
5感覚や運動能力
思考感情などのマインド
身体とマインドを通した
能動性・創造性を獲得していきます。
植物は
自ら動くことなく
『静』と『中心』を司り
大地に根を張り天に葉を広げ
世界から与えられる恩恵を受けて
さらなる恵みへと変換して
世界に還元していく生き方を
動物は
自ら動き回ることで
『動』と『変化』を司り
不足するエネルギーを補うための
食料を探し続けるという行動力と
その過程で得られる
多様な知識・経験を活かした
多彩な変化・進化・クリエイトの能力
獲得していきます。
植物は女性性であり
動物は男性性であり
この陰陽のバランスを取りながら
自然界は多細胞生物が誕生して以降
今に繋がる様々な共生進化を遂げながら
この10億年程の間に
色とりどりの多細胞生命体の世界
を生み出し続けてきました。
そしてここからが本題なのですが
日本は他の文化圏と違って
大きな特徴があります。
それは日本は
『植物の精神』
を引き継いだ歴史文化が
進化・発展してきた土地柄という点です。
具体的に見ていきます。
日本の文化文明・精神の特徴を決定づけた
大きな時代的スタートがあります。
それが
『縄文時代』です。
人によっては
先縄文時代としてのレムリア文明などを
持ち出すこともあるかと思いますが
ここでは一括りに縄文時代とします。
この縄文時代と他の古代文化圏の特徴の
大きな違いでもあるのが
「狩猟採集」
という当時の暮らし方、生き方を示す
その意味合いです。
学校の教科書では
縄文時代も他の古代文化圏も
同じ意味合いで
「狩猟採集」
という言葉を使い説明しますが
この認識を改めることで
日本と他の文化圏との
根本的な特徴の違いが明確になります。
それは日本は
『植物的、静的、女性性的な狩猟採集の文化』
そして他の古代文化圏の多くは
『動物的、動的、男性性的な狩猟採集の文化』
という違いです。
一般的に
教科書などでも使われている
狩猟採集という言葉の意味合いは後者であり
「食料を求めて森や海にいき
獲物や樹の実などを狩猟・採取する
移動式生活スタイル」
基本的にはこのことを意味することが多く
その過程で人口も増え
狩猟採集では人を養え切れなくなるなかで
「農耕牧畜の定住生活(いわゆる農耕時代)」
が幕を開けるとされますが
この視点で縄文時代をみていたのでは
日本のことを正確に理解できません。
なぜなら
日本の縄文時代は
狩猟採集の暮らしでありながら
既に『定住生活』をはじめていたからです。
縄文時代と他の古代文化圏では
「狩猟採集」の意味合いも違えば
「定住生活」の意味合いも異なり
その後の
「農耕文化」
(いわゆる現代に至る文化文明の築く土台)
の意味合いや必要性の理由も
全く異なってきます。
これらの違いと特徴を
端的に表したものが
『植物の精神』を土台にしたものか
『動物の精神』を土台にしたものか
このことにすべてが集約されるのです。
例えば
他の古代文化圏の「定住生活」が生じた背景は
・食料不足を補うための農耕の必要性
・外敵から自分たちを守るための外壁の必要性
などです。
あくまで一般論として述べていますので
すべてがそうだと
断定したいわけではないですが
結果として
他の多くの古代文化圏の誕生・発展の理由
を軸にした歴史解析では
立派な城壁と農耕文化の出現を持って
「文明が誕生した」
と定義しています。
これはあくまで
「動物的な精神・生き方・視点」
からみた歴史解析です。
この歴史解析から見ると縄文時代は
「文明が発達する前の未成熟な原始時代」
という位置づけで整理されます。
ですが
実際にはそうではありません。
縄文人たちが
暮らしや生き方の見本としたのは
動物ではなく
『植物の精神』であり
その視点から解析したときに
全く違った縄文時代の実態が
クリアに見えてきます。
それでは
『植物の精神』
とは一体何なのでしょうか?
植物とは一言で言うと
「悟りを体現した生命体」です。
言い方を変えるなら
『エゴ(自我、分離意識、存在意識)
を超越した生き方を選択した生命体』
ということです。
よく仕事や人間関係などで
ストレスが溜まると
癒やされるために
公園に出かけたり
森林浴に出かけたりしますが
なぜ植物には人や生き物を
「癒す力」があるのでしょうか?
それは植物が
エゴ(自我、分離意識)を超えた
『全体性』
の中で生きている存在だからです。
植物の代表に
『木』
がありますが
あれは一個体の生命体ではありません。
木は
実際に生きている細胞は
木の表層細胞だけで
それ以外に木の中心部分は
実は既に
「死んだ細胞の集まり」
です。
木の細胞は
自らが死ぬと
新たに生まれてくる細胞たちの
「礎(中心)」となって支え
何世代にも渡って細胞が
繰り返し何層にもなって
中心を支えることで
木全体としてあそこまで
永く大きく育む
という進化を遂げた生命体であって
その結果形成されるのが年輪です。
例えるなら
僕たちのために死んでいった
沢山のご先祖様たちが
僕たちの中心を支え
僕たちの繁栄をサポートしてくれる
そして僕たちもまた
未来の子どもたちのために生き
死んでも彼らの中心となって
未来永劫支え続けていく...
そういう
一個体の生や死を超えた
「全体性のなかで生きる」という死生観を
体現しているのが植物であり
そこには自分たちだけではなく
「周りに生きる動植物たちとの共存も図り
全体の調和のなかで繁栄しようとする」
植物の心の現れです。
森や山に行ったり
木造りの家やものに触れると
心まで癒されるのも
単にマイナスイオンが出ているから
というわけではなく
そこには
何億年かけて紡がれてきた
『植物の意思(愛)、いのちの選択』
が波動となって放ち続けられているからです。
そして話しは戻って
日本はなぜ
「縄文時代は争いの痕跡がほとんどない
平和な時代」だったと言われ
卑弥呼の時代から現代までずっと
「皆礼儀正しく温和で盗みなども少ない
平和的な人種」として
他国の文献に紹介されたり
「和を重んじ、調和を大切にし
忠義(中心)を大事にし
個よりも全体で生きる」
そういう独特の文化が育つような
日本の精神・心が
育まれてきたかと言うと
縄文の頃より
人や集団の生き方・暮らし方の手本にしたのが
『植物(木)の精神』
であったからです。
今でも日本では
「植物」を最も神聖なもの(御神木など)
として崇める風習が残っていたり
他の古代文化圏が発達したところは
ことごとく木が伐採され尽くし
砂漠と化している地域が多いなかで
日本は逆にこれだけ古い歴史がありながら
国の森林保有率は断トツで上位であったり。
海外では
ギリシャ神話や古代エジプト文明
インドの神々に象徴されるように
「動物を神聖化し崇拝すアニミズム」
が多いなかで
日本では動物神以上に
木々や森や山や石など
「植物や自然物を神聖化し崇めるアニミズム」
が縄文の頃より根付いていたりするのも
他の古代文化圏の多くが
「動物」を生き方や暮らしの手本
にすることが多いなかで
日本(縄文)は逆に
「植物」に宿る神聖さを認め
崇めてきた特異の文化文明であります。
他にもなぜ
縄文人たちが「竪穴式住居」なのか?
これは西洋的歴史観でみたら
ただの未開な原始人の風習
(動物が穴を掘って過ごすレベル)
にしか見えないところですが
そこにも深い意味があり
その精神性を育む根幹に
『植物』があったからです。
植物は
天(太陽)と地(大地)を繋ぐ狭間に
あらゆる生命を生み出す土壌を
作りました。
この植物の精神と同じことを
「住居」にも当てはめたのが
竪穴式住居です。
現在の日本でも
天照大神を最高神とする
現在の神道の源流には
「太陽」を神聖しする観方がありますが
同時に日本には
「土地」を大事にするという風習も
根強く残っています。
日本という言葉の語源は
「日の本」ですが
日は「太陽」を表すのに対して
本は「草木の根の方」や「植物」
という意味合いもあり
まさしく日本とは
「太陽(日)と大地(本)」
という意味合いもあるという見方もあります。
日中は家の外に出て
太陽のエネルギーを浴びながら過ごし
夜は家の中に入りに
大地のエネルギーで心体を休息する...
植物がやっている行いを
日々の生活や暮らしに
落とし込むものとしての
「竪穴式住居」と観たときに
そこからみえてくる景色も意味合いも
大きく変わってくると思います。
また動物は
エネルギーの不足から
食料を求めて動き回りますが
この延長線上で発展した人類文化が
いわゆる
「移動式の狩猟採集生活」
であり
その延長線上で
人口増加に伴い食料自給の必要性と
外敵から保護のために生まれた暮らしが
「城壁型の農耕定住生活」
だと見ることができます。
一方で縄文人たちは
その暮らしや生き方の精神の軸を
『植物』に学びました。
植物の精神の特徴は
・「天(太陽)と地(大地)」と繋がり
・根付く大地を中心(礎)にして
・その中心性を軸に何世代にも渡って
繁栄するという「全体性」で生きる
・そして太陽と大地の恩恵を受けながら
自らの内側で必要なエネルギーを生み出す
という「動物的な枯渇・奪う」ではなく
「生み出す・与える」という生き方
・「静」と「中心」を大切にし
生きとし生けるもの(動植物)を
生かす存在としての役割を持つ
これらの特徴を
学び体現した文化文明が『縄文精神』であり
引いては『日本精神』に繋がっていきます。
ですので
縄文時代の狩猟採集とは
動物的なエネルギー不足を補うものとしての
「移動式の狩猟採集生活」
ではなく
植物のように
一度決めた
ご先祖様が脈々と眠る大地に根を下ろし
その中心軸(精神性)を大切に育みながら
子々孫々、太陽と大地の恩恵に感謝しながら
生きるという
世界には類を見ない
「定住式の狩猟採集生活」
が発展することになり
その延長線上で
「神聖な森」
を育む感覚をそのまま移行させて
稲や野菜などを育むという農耕が
同時に行われているという
独特の文化文明の形態となりました。
また
この植物や木々を神聖視する観方が
そのまま神社のご神木や
家屋の大黒柱等として受け継がれたり
木が
その中心を軸にして
何世代にもわたり細胞たちが繁栄進化する
共同体のあり方そのものが
そのままサムライの
「忠誠心や忠義」
を重んじる文化精神となったり
「天皇を中心とする世界最古の国家」
を形成する精神的土壌となったり
神風特攻隊のような
「死を通して誰かを守る・愛する」
という全体性で生きる精神の根幹を成したり
挙げるときりが無いですが
それほど日本、引いては縄文の
精神文化の根底を見ていくと
そこには
植物(特に木)を最大限に重んじた
日本の文化文明の特徴が見えてきます。
世界中の多くの場所で
『ユグドラシル(生命の樹)』
に類似する思想や世界観が見られますが
日本はこれから世界にとっての
『ユグドラシル(生命の樹)』
となっていく国です。
そのことを約束した土地が
日本のエネルギーだからです。
生命進化を語る上で
「植物」
は絶対になくてはならない存在であり
植物は地球にとっての
『宇宙』を体現した存在そのものです。
自己中心性を手放し
全体性、大きな時間の流れのなかで
生きることを決めたのが植物です。
その植物の意思を引き継ぎ
大樹があらゆる動植物の命を育む中心
となるように
縄文や日本に秘められた
精神と文化文明の意義を
紐解くことは
これからの未来に必要不可欠と思い
私見を書かせてもらいました。
生命進化の歴史において
「真核生物」は
“単細胞生物”の進化発展の
ひとつの終着地点でした。
そしてそこから
「植物」と「動物」
の真核生物の道に分かれ
それぞれが各々の道で
多細胞生命体へと進化を遂げ
現在に動植物で溢れる世界ができました。
現在の人間は
「多細胞生物」としての一個体が
進化発展した結果たどり着いた
ひとつの終着地点としての存在です。
そして
「真核生物」が植物と動物に分かれて
多細胞生物化していったように
「一個体としての人間」もまた
個体が集まった集合体としての
新たな生命体として
『共同体(生命体)』
へと進化していくときに
「植物の精神」「動物の精神」を宿した
共同体(生命体)として進化するという
歴史をフラクタルしているのかもしれません。
この投稿内容が
少しでも何かしらの
気づきやインスピレーションのきっかけ
になれたら幸いです🌌✨✨