あなたのことは、あなたが決めていい
6月は祝日がないので、特に用事はなかったが有休を取った。惰眠を貪ろうかと思っていたが、陽が昇る頃に起きて、映画「違国日記」を観た。
画面全体の印象としては、是枝裕和監督作品「海街diary」やソフィア・コッポラ監督作品「SOMEWHERE」みたいな感じだった。ヤマシタトモコの原作を既読の私からすると、原作で肝要だった各所のメッセージを薄めているという感覚もあり、率直にいいか悪いかを聞かれたら「作品としては微妙」と言う。
例えば、森本千世が、女性という性別ゆえに蒙る理不尽に対して憤る話で、なぜ現実に存在した医大受験の女子減点問題を、架空の海外選抜にすり替えたのか。例えば、楢えみりが自らの恋愛に悩みそのことをそれとなく槙生に話したとき、彼女が手渡したDVDが省かれたのか。槙生が対話をする「母」がなぜえみりの母ではなく、自らの母だったのか。
また、主人公の朝も、言動や動作こそ幼さは残るが、小さな頭で精一杯考えているのがよかったのであって、彼女から生まれる無数の言葉を奪い、所作によりその悩みを表現するというのが果たして本当に相応しかったのかと思う。朝はいま、何を考えているのか。映画を観ながら朝の考えに思いを馳せるその瞬間、瞬間で、結局私の中にある「原作の違国日記」から言葉を拾い集めて観ていた、という感覚が強く、画面から受け取るものがとても薄かった。
原作のメッセージの強さが、そのまま作品への違和感に及び、最後まで拭われることなく終わったなと思う。
ただ、朝演じる早瀬憩の歌はとてもよかったし、新垣結衣の槙生……ではなく槙生演じる新垣結衣の演技がすごく好きだった。「かわいい」俳優としてともすれば画面の「映え」の一つであったような時期を去り、年相応の、力が抜けた、けれど芯のある演技、みたいなところが、私は本当によかったと思った。インタビューなどで見てきた新垣は、元々インドアでアンニュイなところがあったから、見た目ゆえに求められてきた演技をやめて、もっと人間くさいものを演じられるようになったのだなと嬉しくもある。女が歳を取ることに対して未だネガティブな言説が多い世の中ではあるが、槙生を演じる新垣を見て、歳を重ねるのはいいことだ、と感じた。同い年だから余計にそう思ったのかもしれない。彼女はもう、消費される女性性、のようなものを演じる必要がないのだ。祝福したい。