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私の大学時代。造園を学んでました。

最近ハンドメイドの事で頭がいっぱい過ぎで
推しが来週のベストヒット歌謡祭に出るから観覧応募があったのに、スッカリ忘れて〆切過ぎていました…

今日はちょっとハンドメイドから離れて
私の学生時代の話を書きます。

私の通った学校は、京都にある芸大で
造園が学べる学校。
格好良くいうとランドスケープデザイン。

庭、公園、広場のデザイン、庭の管理方法
樹木の名前を覚えたり
京都の庭をたくさん回って、講師から庭の見方などを教えてもらったり。
庭石をスケッチしたり。

18〜20代の女性が、作業着に紺色の地下足袋はいて、剪定ハサミを持ってバスに乗り、現場に向かう。今思うと面白い光景かもしれない。

有名な庭も剪定できたりして
庭での作業はとても心が落ち着いて好きでした。
今も作業したいなあと、たまに思います。

その剪定作業を教えてくださってた先生も
有名な造園会社に勤めていた方で、最近先生が表彰されてて今もご活躍されてるのを知り懐かしく嬉しくなりました。
当時はそんな方に教えてもらえてるとか全く知らずに。

その先生から、卒業間際に私と私の友人が剪定していたら「今すぐにでも働けそうやなあ!」と言われたのが密かに嬉しかったです。 

あと、忘れられない先生は
森林のプロで私たちに樹木の名前や、山の中での植物の見方などを教えてくださった先生。

大文字山での授業では、
登山道ではなく、ここを上がれー!と
けもの道を登れと言われ
刺さる枝を払い除けながら登った想い出。

葉を取り、スケッチブックに貼り付け標本にして名前を書き込む。
私はどうも樹木の名前を覚えるのが苦手で
先生に集中攻撃されてた…。

その先生の言葉で忘れられないのが
「鹿は増えたら食え」

鹿は山で増えすぎたら新芽を食べ尽くすから山には良くないそうで。
インパクトのある言葉でした。

その先生が私が卒業後に就職が決まらずにいたら(決まりかけたのに私が無知すぎて断ったり、大阪の造園会社にほぼ決まったが先生から社長の女にされるから止めとけ、と言われ辞退したり色々あり…)
しばらく先生の元で事務をしたり、
無料で先生の森林学の講義を受けさせてくれたり
本当にお世話になりました。

なのに、先生にちょっと当時の状況から不義理な事をしてしまい
今もご活躍されてるのは知ってるのですが
疎遠になってて、あの時の事を謝りたいなと
ずっと思っている…先生からすれば忘れてるだろうけど。

公園設計の授業
原生林に一泊した授業
卒業制作は京都の友人宅にみんなで泊まり

あの学校生活は、本当に面白かった。
私は小中高はあまり好きではなく
学校嫌いだったんですが
大学だけは、まだ通いたかったくらい面白かったです。
大学と言っても当時は短大で2年しか通っていません。

実は私は歯科衛生士学校を中退しています。

高校の進路選択時
担任に庭の設計がしたいと相談したけど
「そんな学校知らんな…」と言う無責任な担任。
当時は今のようにネットで何でも調べられた時代ではなく、園芸学校を見学したが違う…。
なら、手に職で歯科衛生士はどやろ?
と安易な考えで専門学校へ。

向いておらず、悩んでた時に
ふと目に入ってきた、ランドスケープデザインの大学案内。
なんで、このタイミング?
なんで今?
もう心がランドスケープにしか向かなくなり、
激怒する母親を説得し(かなり喧嘩)
泣いて止めてくれた友人もいたけれど(ごめん)
猪突猛進型の私は中退し
バイトで貯めたお金を大学費用にあてるからと約束し
デッサンを自宅で練習し
入学した訳です。

今親になって思えば、学費大変ですよね…
美大高いし。

花の世界に入ってみると
「法律学んでた」「建築学んでた」「外国語大学だった」
など花とは全く違うところから、花仕事に辿り着いた人がたくさんいました。

花は学歴なくてもできる仕事だと思うし
大学がもったいなくも感じるけど
それがあったから辿り着いたって事もあるんじゃないのかな…と思ったり。

今度は我が子達が大学へ進んでいく予定だけど
進路は変わることもあるからね。
10代で自分のやりたい職業を考えて、ビシッと決められる人って少ないんじゃないかな?
でも今何に興味があって、何がしたいのか、自分は何が得意かよく考えや〜。
学校はよく調べや〜って話をしています。


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