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字幕ではお笑いは楽しめない?

SNSで、ふと見かけたこの言葉。とあるお笑い番組の見逃し配信で、バリアフリー字幕がついていないということに触れての意見だ。

そこで引き合いに出されていたのが、健常者の「バリアフリー字幕なんかつけても音が聞こえないんだから楽しめるわけがない」という心無い言葉だった。ずっと前から言っているが、健常者と聴覚障害者が同じ番組を見て意見を交わしたり、感想を言い合う楽しみがなくなっている

そして、バリアフリー字幕は障害者だけのものではない。例えばだが、数年前に放映されていたHugっとプリキュアのとあるシーンは、バリアフリー字幕が無いと分からない表現が含まれていた。それはアンドロイドのルールー・アムールが、愛崎えみるに「一緒にプリキュアになろう」と言われて返した言葉。

「プリキュアにふさわしいのは、あなたのような【人間ひと】です」

人間と書いて、「ひと」というセリフになっていたのだ。これはえみる自身の正義感あふれる内面ならきっとプリキュアになれるというセリフであり、アンドロイドの自分がなれるわけがないというダブルミーニングだったのだ。これが音と絵だけの表現の限界を超えて、バリアフリー字幕が表現のひとつになったという具体例だ。

ここまで知って、なおバリアフリー字幕を付けなくてもいい、というならそれは伝える努力を怠っている、ともいえるのではないだろうか?そして、障害者と健常者が同じものを楽しむ権利も勿論奪っている。よく考えて欲しい。


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