024 オクトパスの神秘: 海の賢者は語る
昨日に引き続き、"海"についてネットサーフィンしていたところ、
Netflixにて"オクトパスの神秘: 海の賢者は語る"というドキュメンタリー映画が気になった。
人生につかれて子供時代の思い出の海にもどった映像作家。神秘に満ちた海の中での感動の出会いと友情を通して、人生を見つめ直す。
こんなフレーズとともに、なんとも可愛らしい貝でできた造形物の画像が気になり思わずスタートさせた。
未知の世界に足を踏み入れてしまった。
クレイグ・フォスター氏が別の撮影で偶然にも訪れた南アフリカから話は始まる。人生の目標が砕け散った彼に起きた出来事。大きな変化が必要だと感じていた彼の頭に浮かんだのは2つの記憶。
1つめは"子供の頃の記憶"で、お気に入りだった南アフリカ"ケルプの森(藻場)"
2つめは仕事で訪れたカリハラの地での記憶。自然の中に溶け込んでいく原住民の"カラハリの追跡の達人"とは対照的によそものである自分を強く感じてしまった疎外感の記憶。
そんな彼はこの海に入るしかない!と行動を起こすのだ。
本来この部分はきっかけに過ぎず、さらに壮大な本編へと発展していくのだが、私はまずはこの部分に妙に心を惹かれ、どんどん見入ってしまった。そしてさらに心震わせることになる。
「過剰なSF映画よりもよっぽど刺激的」とクレイグ・フォスター氏は語るが、確かに、観ている私でもこんな心が動くのだから体験した当人ならなおさらだろう。
この世界であるもののうち、人間にみえているものなんてほんのわずかしかないんだ。ということが体感とともになんとなく感じている最近だが、
"オクトパスの神秘: 海の賢者は語る"を見ていると、人間がみえている世界を1つ超えたところを見聞きし体感しているような気がしてくる。
こんなにも、そんな世界を具体的に視覚化できたことは、今までそうそうなかったし、"命"というものを目の当たりにしたようで、自然に涙が溢れてくる。
ここではあえて具体的には触れないが、クレイグ・フォスター氏とタコとの間に起きた出来事は魂の触れ合いとしか思えない、なんとも人知を超えたものだった。
さらに気になって、制作の過程を記した記事にも目を通したところ、この作品は膨大な時間と数々のプロフェッショナルが関わった末に完成されたことを知る。
これだけのエネルギーを注げたのも、クレイグ・フォスター氏とタコとの関係に何か他とは違う、光るものを感じ、それに突き動かされたからなんだろうなと思う。
これは、地球が私たち人間に観せてくれた、生きるということ、命そのものなのではないかと、そう思わずにはいられない。
気軽にポチッとスタートさせた映画があまりに壮大すぎて、途中迷子になりかけたが、この作品に出会い、彼を通して感じた事は、私の宝物の1つになった。
これからもこういう作品に出会いたいなと思うのだ。