自分をほめて大事にする生き方を探してみようかな。
私が今年特に学ばなければならないこと―それは自分を大切にする方法を学ぶことであると言いたい。
まず私は過去の投稿を載せている内容から見てわかるように「自己肯定感」「自分を大切にする」ことに疎い。
周りが犠牲になるくらいならば自分がその役目を請け負って恨みを買えばいい。だから自分をいかに傷つけても全く気にしない。
どんなに褒めてもらっていても、いつかは裏切られる。そんなことならば素直に言葉を受け取らずに一人で生きていたほうがいい。
どんなに大事にしてくれる人がいたとしてもその好意を受け取ることができない、むしろ棘を向けてしまうことがある。
このように自分なんてどうでもいい存在であると強く思い込んでしまった結果、大事なものをいくつも失ってきてしまった。
そして普通に生きていていい存在ではないからこそ、危険な行動をしてしまい、危ない目に遭ってしまうことや命の危険に晒されたことが何度もある。
その度に傍にいてくれる友人や恋人に強く叱られ、自分の気持ちを伝えられないもどかしさからけんかにつながってしまうことが多い。
どんなに伝えてくれようとしても「お前らには受けた本人にしかわからないような傷口なのにそれをずけずけとえぐりやがって」と思ってしまうほどには性格が悪い。
こんなことを続けてばかりで失い続けることに深い悲しみや心身が疲弊していく姿が嫌でも目に入ってきた。
どうしてこんな生き方しかできないんだろう。もっと特別ではなく、肩の力を抜けるような穏やかな日々を過ごせるようになりたい。
幸せを手にいれたいならば、まずは私自身のことを愛してみなければ変わらなければいけない。
そう心の片隅に留めていた思いから、いつしか私はこの生きてきた時間の中で「ぼちぼち生きてみる」という目標を立てて人生観を少しでも変えてみたいと願うようになった。
この目標を立ててみたものの、何か一つの物事を考えるために0か100で考えてしまうことが私にはあり、余計に苦しくなってしまう癖がなかなか抜けなかった。
”自分はこんなこともできないだめなやつか”と思ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまうことなんて日常茶飯事である。
そこで私はふとした瞬間にあることに気が付いた。
「自分をほめて大事にする生き方が分かっていない」
盲点だった。今まで生きてきた中で大事にはしてみようとしたものの、結局は上手くいかずに投げ出してしまい、目を背けて生きてきてしまっていた。
まさかこんなことが仇になってしまうとは思っていなかった。
自分の成し遂げたい目標の第一歩は、自分のことを大切だと認識しなければ、いつまでたっても自分を追い詰めて目標から遠ざかってしまう。そんなの本末転倒じゃないか。
そんなことで私は今自分の生きていることを認められるための方法について勉強をしている。
小さなことでも自分をほめる、日記やNoteに過去のつらかったことを吐き出して浄化をしてみる等をやってみてはいる。
そして今まで自分には必要のないと思うようにしていた「嫌われる勇気」など人の心に触れる心理学の本を少しずつ読んでみている。
しかし根本的に「自己肯定感」が高くなったとは到底言い難いのが現状だった。
だからこそ自分が楽になるためのことは何なのか、人生の中で解決する必要のあるものは何か紐解く作業をしている。(主に自分の特性や過去のことに縛られてばかりでその傷口をえぐるような作業ではある。)
気が遠くなるような作業で、逃げ出したくもなる。
でもここから学びを得られて、自分と向き合える機会ができればきっと私は今よりも自分を大切にできて、あこがれていた目標にもたどり着けると思う。
少し、ほんの少しでいい。
また私は歩き出せるかな。いや絶対に学んで歩き出してみせるよ。
いつか自分のことを縛り付けない、穏やかな生き方をするからね。
大丈夫だよ、私。
#今年学びたいこと
#生きてみる