悔しくて悔しくて泣いた。
久々に感情が揺さぶられた。
それもいい意味でなく悪い意味で。
思わず溢れ出した言葉をまとめる前にTwitterに投稿してしまうほどには。
他者との違いで悲しくなったのは久しぶりだった。
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前にも書いたように私はクリエイターである。
自分の生み出す作品は大好きで、大切なものであるのはいつになっても変わらない。
それはどのクリエイターも同じだと思っている。
昨日、今私が考えてることがあり、その流れでクリエイターである友人を経営者の知人に紹介したのだ。
始めは金銭を貰うということではなく、実績を積むために案件はないだろうか?という営業というより相談をもちかけた。
その時に返された言葉が
”こんなんじゃ何ができるかわからんし、レベル低すぎ、まるでおままごとじゃん”
こんな風に言われたのだ。
”どうせ学生のなれ合いみたいなものでしょ?大したこともしてないだろうし”と。
もちろん、ビジネスという場面においてクオリティは求められるものであり、クライアントの意向に添えないものはそもそもありえないことは当たり前の話だ。
それでも私は今まで作ってきた友人の作品を罵倒されたことに腹が立ってしまった。
クオリティが低い、ということは今まで作品を受け取ったクライアントの質が低いということにもならないだろうか?
たとえそれがビジネスという場面で甘いというのは多少なりともあるだろうが、返答として言葉のチョイスが相手の気持ちを推し量れないことに衝撃を受けたのだ。
まだ、
うちの周りのニーズには合ってない。
ということなら理解出来る。
それは仕方ない。で済むからだ。
クリエイターの作品に対する時間のかけ方、思い、労力について全く考えることも出来ずにそんな言葉を言われることに悲しくなった。
そして、まだまだビジネスについて疎い私は何が正しいか分からないし、自分にも不甲斐ない部分があるため言い返すことが出来なかった。
それがまた悔しかった。
友人の作品を守ることが出来ず、クリエイターを下に見る発言をされて悔しかった。
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正解のルートなんてひとつじゃない。
それなのに自分の価値観を押し付け、それが正しいと思い込んでいる知人の姿に嫌気がさしてしまった。
経験をしたことがない人がどうしてその裏側を想像することが出来るのだろうか?
どうして大して何もしてないって言えるのだろうか?
そこのじぶんの価値観でしか想像することができない想像力の乏しさに悲しくなった。
界隈が違うと価値観も変わる。
同じものを持ってる人達が集まってしまうからそちらに引っ張られる。
周りの人間が全てだと勘違いし、どんどん世界も狭くなっていくような気がしてしまう。
だから私はどこにも属したくないのだ。
偏った見方でしか見れなくなることがあまり好きではないから。
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そして、話の中であることも言われた。
”良くないことってみんな知ってるけどそれやってビジネス成功してるんだよ?なんでやらないの?”
これだけは本当に納得できなかった。
私はどれだけ近道になろうと、誰からもバレなかったとしても自分が間違っていると思うことはしたくない。
ましてや自分の作品には特に。
そっちのがわかりやすい、簡単、成果になる。
そんなもので得たものを好きにはなれない。
そこの価値観の違いがすごく大きなものとして知人との距離を感じてしまった。
正直な話一緒にもう何もしたくないと思った。
それくらい自分の中の大切なものを理解してくれなかったのだ。
自分の中の価値観が全てだと思わないで欲しい。
私は私、あなたはあなた。
それ以上でも以下でもないのだから。
この事で、あらためて自分の中で譲れない大事な部分というものがしっかりとあるということに気付かされた。
悔しくて悔しくて泣いてしまうくらいに。