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肯定されたい病
冬であることにかこつけて懐古というか内省というかそれともいつも通りのことかもしれないけど、去年の冬を思い出してる。
バイト先に搾取され、HPをすり減らしながら生活してたことを今でもそれなりに鮮明に思い出してしまうけど、今の私なら何でそれが搾取なのか、何が私をすり減らしているのか、懇切丁寧に説明できる気がする。
いや、実際対面したらできないかもしれない。
私たちが生きている社会にある(女はこうあるべき、男はこうあるべき、というような)ジェンダー規範に、気持ち悪さを持つことは、もう私にとって切っても切り離せない日常だし、丁寧に説明することは違和感を唱えることに伴う責任なのかな、と思う。伝わらないのは、とてもしんどいから。
私が 好きな私 でいるためにやることだ。
結局、私は私の好きな私でいるために、好きな人のために何かをしている私であるために、あれをやりたい、これをやりたい、こういう生き方をしたい。という考え方をする人間なんだろうか。
「結局、自分が一番かわいいの」
と、私によく言った人がいて、その時は へえ、そうなんだ くらいにしか思ってなかった。
でも、結局私も誰かに好かれたくてたまらないんだと思う。
誰かに「生きてていいよ」「そのまでいいよ」「考えていいよ」「話していいよ」を言われたくて言われたくてたまらないんじゃないか。
私は、世間の目を捨てたと思い込みながら、結局人間が好きで、人間に固執して、人間に好かれたがっているという、めちゃくちゃつまらない人間なんじゃないか?!?それが人間味なのか?!
というところまで思考が行き届いた。
「そんなとこまで気になったら、しんどくない?」
(たぶん、「しんどくない?大丈夫?」の意)
と言われたけど、
「気にしすぎじゃない?」なら不正解で、
「なんで気になったの?」「好きなだけ考えて、話して」なら大正解だった。
結局私は自己承認欲求の塊だってことを自覚した。
肯定されたい、好かれたい、大丈夫?って言われたい。なんていつも思ってる。反省した。何がindependentなんだ。
なんでこんな話を思い出したかって?
それは12月だから。
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