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14歳で訪れたロサンゼルスは、私の人生を変えてしまった

私は14歳の夏、私は父と二人でアメリカ・ロサンゼルスへ旅をした

もともと私の祖父が昔、ロサンゼルスの大学病院へ留学していた影響で、父も小学生の頃をロスで過ごした。

父にとってはそれ以来約30年ぶりのロサンゼルス訪問であり、私にとっては初めてのアメリカだった。

これが後に、自分の人生に大きな波を立てるきっかけになるとは、そのときは全く想像していなかった。

多感な14歳が、大国アメリカに2週間ほど訪れ、さらには父と二人旅。

全てが新鮮で刺激的な当時を振り返った。




1. 行くことになった経緯


祖父の留学時代に、父は小学生から4年間をロサンゼルスで過ごし、そこでできた親友と30年間交流が途絶えていた。ところがある日、その友人から「久しぶりです。元気ですか?会いたいので、ぜひ今度アメリカに遊びに来てほしい」と手紙を受け取った。

父にとっては懐かしき記憶を巡る旅であり、私にとっては初めての大国アメリカであった。

「どうせなら親子二人旅にしよう」という話がまとまり、気づけばチケットが手配されていた。

当時の私は進路選択で理系クラスを希望し、将来は漠然と医師になるのだろうと考えていた。父も祖父もまたその先祖も医療の道を歩んでいたので、自分も自然と同じ道をたどるものだと思い込んでいたのだ。

しかし、この旅がそんな私の思い込みを大きく揺さぶることになった。


2. ラスベガスへの道


ロサンゼルスへ向かう前に、まず父と二人でラスベガスを訪れた。

巨大なホテルや商業ビルが林立し、きらびやかなネオンが昼夜を問わず輝く様子は、14歳の私にとってはあまりにも刺激的だった。

撮影:aestelle


未成年でカジノには入れなかったが、父が試しにポーカーをしに行き、10分も経たないうちに落胆した顔で戻ってきたことを覚えている。

もうひとつ忘れないエピソードがある。

砂漠の真ん中にあるラスベガスの気候は極度に乾燥しており、その砂漠性気候に慣れないせいか、到着早々鼻血が止まらなくなってしまった

慌ててトイレに駆け込んだところ、父が冷静に「頭をのけぞらせるのではなく、少し前かがみにして鼻を押さえるんだ」と正しい止血方法を教えてくれた。

医師としての落ち着きは心強い反面、異国の洗面所で父に鼻血を止められるという状況は、14歳の私には少し気恥ずかしかった。

そして父と二人でのホテルステイも、何とも言えない照れくささと新鮮さが共存していた。日本のビジネスホテルとは比べものにならないほど広い部屋に、大きなベッドが2つ。そこに父と二人だけで泊まるという状況は、少々落ち着かない気分にもなった。

それでも、翌朝5時。広大なラスベガスに昇る朝日を眺める父の背中が、やけに今でも印象に残っている。私は寝たふりをしながら、その背中を眺めていた。


3. グランドキャニオンの壮大さ


ラスベガスを拠点に訪れたグランドキャニオンは、今まで見たことのない雄大さで私を圧倒した。

撮影:James Lee

赤褐色の大地が地平線の向こうまで切り立ち、太古の地球の息吹を感じさせるような景観。

足元からすぐに断崖が始まり、底が見えないほど深い谷が続いている。そのあまりのスケールに、「自分がここに存在している」という感覚さえ遠くなるような錯覚を覚えた。

普段は机の上の勉強こそ「将来のため」だと信じ込んでいたが、目の前に広がる大自然を見つめるうちに、自分の固定観念がいっぺんに崩れ落ちるような気がした。

「世界はこんなにも広いのか」

そう実感しただけで、まだ見ぬ世界へ足を踏み出したいという衝動が湧いてきたのを覚えている。それと同時に自分の小ささにどこか漠然とした不安を抱いた。自分のあまりの無知さを恐れたのだろうか。


4. ロサンゼルスでの衝撃


4日間ほどラスベガスで過ごし、いよいよロサンゼルスに到着した。

30年ぶりに再会する父の友人はロス市警に勤めており、カリフォルニア州知事のSPをしていた。

初めて会ったとき、ハグをしたがとても背中に手が届かないほどに胸板が厚かった。情熱的で包容力のある眼差しの中には、どこか冷静沈着な芯を持った瞳だった。ここは銃社会。きっといくつもの死線を潜り抜けたのだろう。

車でロスの色々な場所に連れて行ってくれた。その際にはいつも銃を携帯し、車の中には警察からの無線の連絡が鳴っていた。プライベートでもロサンゼルスの治安維持に関心を持つようなその生活に私は心を揺さぶられた。若いながらに命をかけたプロフェッショナルを見たのだ。

私はその友人から銃の撃ち方を教わった。

友人とシューティングゲームで遊ぶこともあったが、コントローラーのバイブレーションとは比べ物にならない、その威力に度肝を抜かれてしまった。

銃弾を1発、しかも小型のハンドガンだというのに、身体が後ろにふらついたのだ。狙った的からも大きく外れた。日本では銃を持つこと自体があり得ないが、ここでは“正当な防衛手段”として社会に存在している。

その違いにも、そして銃を持ちて治安を守るという警察や軍人という職業をどこか身近に感じたことで、強烈な緊張感や恐怖心が入り混じった。平和について考えるきっかけにもなったかもしれない________。

さてその友人は、観光地をあちこち案内してくれた上、私たちを自宅に泊まらせてもくれた。

そこには同年代の女の子がいて、初対面で挨拶がわりにハグとキスをしてきた。その瞬間、私の頭の中には雷が落ちた。男子校で育った自分にとって、異性とハグという文化はまるで未知の世界。正直に言えば、惚れてしまっていたのかもしれない。今思えばなんとお恥ずかしい話。

そして未知のコミュニケーション法に触れ、はじめて「これが異文化なのだ」と肌で感じた。

ディズニーランドでは、アトラクションの待ち時間に前後の赤の他人同士が自然に会話を楽しんでおり、サンタモニカのビーチではそれぞれが読書や音楽など、好きなことを自由に楽しんでいた。

日本とはまた違う、他人を干渉しすぎず、かつ互いを尊重するアメリカの大らかさや大胆さを目の当たりにして、海を渡れば「自分の知る世界とは異なる、想像のできない世界が広がっている」と強く感じた。


5. 夢のような体験と未来への種


私はロサンゼルス滞在中、州知事の家へ招かれるという、衝撃的かつ非日常的な経験もした。

友人の計らいで、わざわざ予定を組んでくれたのだ。

広大な敷地には大型犬が3匹放し飼いにされ、秘書はハリウッド女優のように美しい。まるで映画のセットのような光景だった。そして何よりも州知事の大らかで明るい人柄。

日本から飛び出してきた14歳の私は、その圧倒的なオーラと寛大さに魅了され、若いながら憧れのリーダー像を知った。

そういった経験を重ね、SPとして活躍する父の友人にも憧れを抱いた。

銃の重み、要人を守る使命感、そしてそこに宿るしなやかな強さ

そのすべてがまばゆく映り、「自分も自分なりの正義を養い、貫く日がくるかもしれない」と漠然と考え始めた。

英語をもっと勉強したいという意欲も、この旅を機に大きく高まった。多くの人と接し、自分の英語力の乏しさにも落胆してしまったのだ。

さらに幼い頃から映画を見るのが好きだった私は、ハリウッド大通りを歩いたとき、映画文化の重厚感、そして煌めきをシャワーのように浴び、「いつか映画を作ってみたい」と思うようにもなった。

今まで一度も抱いたことのない新しい夢だったが、その気持ちは確かに私の中に根を下ろした。


6. 心の中で揺らぎ始めた進路


アメリカの自由でダイナミックな世界を目の当たりにするうち、それまで「医師になる」と思い込んでいた自分の将来像が揺らぎ始めた

グランドキャニオンで感じた圧倒的なスケールも、初めてのハグ文化の衝撃も、ハリウッドで抱いた映画制作への憧れや警察という職業への憧れ――それらが次々と私の中に新しい芽を生やし、「本当に進みたい道は何なのか」を問いかけるようになったのである。

帰国後、父に「海外で働きたいかもしれない」と恐る恐る打ち明けたときは少し驚かれたが、私の興奮ぶりを見て「それも面白いかもしれないな」と応じてくれた。

父自身、アメリカの地で青年時代を過ごしたからこそ、私が受けた衝撃を理解してくれたのかもしれない。

(とはいえ、そんな簡単な話ではなく、後にいざこざした。それはまた別の機会に…笑)


7. 多感な時期に異文化に触れる意義


14歳という年齢は言うまでもなく最も多感な時期であり、自己形成の真っ最中にある。

そんなとき、まったく異なる文化や言語を持つ国を訪れたことで、私の人生観は大きく変わった。単純なほどに全てを吸収した。

もしあの旅がなければ、医師以外の道を考えることもなかっただろう

また、親子二人旅で海外へ行くという体験も、思っていた以上に特別なものだったと感じている。

長いフライトや言葉の壁といった不安も、父と一緒に乗り越えた。

親子で課題解決をするのは、どこか気恥ずかしいが、同時に大人になっても忘れないような絆が生まれるような気がする。


8. 私が学んだこととメッセージ


あの旅を通して私は、「世界は想像以上に広く、人生の選択は無限大にある」ということを実感した。

閉ざされた環境で勉強だけしていては得られなかった夢や希望を、アメリカの自由な空気と人々が引き出してくれたのだ。

多感な時期に、あえて親子だけで海外を旅するというのは、想像以上に得難い体験だと思う。

大人になれば仕事やスケジュールの関係で家族旅行自体が難しくなることも多い。もしチャンスがあるなら、ぜひ「親子二人旅」を試みてほしい。家族全員がそろった旅とは違った特別な思い出や絆を育めるはずだ。


14歳で訪れたロサンゼルスは、私の人生を確かに変えた。

映画制作や警察官への憧れや、英語を使って海外で働きたいという漠然とした想い、そして「自分はもっと自由に未来を選択してもいいのだ」という気づかせてくれた。

旅とは、未知の世界へ足を踏み出し、自分の中に眠っていた感性を呼び起こす行為だと思う。

異文化に触れて価値観が揺さぶられる体験は、特に若い世代にとって計り知れない意味を持つのではないだろうか。

私の人生を変えたように、これを読んでいるあなたの人生も、きっと変わっていくに違いない。




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