ハナミズキウメオ
教員、その処遇の改善。 半世紀ぶりの、給与の引き上げ。 文部科学省と財務省、それぞれの方針。 一つ、思うことがある。 「 #教師のバトン 」 ……このハッシュタグをSNSで流行らせることで、教職の魅力が若い世代に伝わるように。 なんて取組をやっていたタイミングで、既に、今の処遇改善の議論が充分に活発になっていたなら。 「手遅れ感」が蔓延する、ここまでの事態には至っていなかったのではなかろうか? 行政の動きが後手に回り過ぎてしまってはいなかったか?
バスを降りるときに、「ありがとうございましたー!」と"当然のように"運転手さんに挨拶していくお子さんを、よく見かける。 負けちゃいられない。ならばこちらは乗る時もだ! ……などという競争心からではないが、ワタシも、バスに乗る際と降りる際には必ず挨拶をするようにしている。いつから始めたか(再開したのか?)記憶が定かでないものの、それなりの年月、続けているはずである。 きっと多くのお子さんたちの姿から、知らず知らずのうちに感化されていたのだろう。 どうも乗り降りは
「成功体験」を得ようとする意識があるからこそ、逆に「失敗体験」を獲得しやすい場合があるのではないか……という話。の続き。 何をもって「成功」とするのか。判断が難しい。 理想的な状態を思い浮かべれば思い浮かべるほど、「成功」という認識になりにくい。 理想は理想であり、往々にして、現実よりも高いところにある。その高さには際限も無い。 「10割バッターは存在しない、3割バッターは良い打者である。」 【休憩】 ……という金言が在るが、本人が「7割」のほうに目
成功体験の積み重ねが、自信に繋がるとか繋がらないとか。 ……嫌な感じの書き出しになってしまったが、決して否定するつもりはない。実際に、自信に満ち溢れている方には、成功体験を多く持っている方が多いように思う。そして、その自信を地盤として果敢に挑戦を繰り返ししていく──。 否定はしない。しかしワタシは、次のようなことを考えてしまうのだ。 なにかしらの「体験」を重ねていくだけなら、そう難しくはないだろう。 だが、「成功体験」を積んでいくとなると、そんなに容易いことで
今まで気づいていなかったが、どうやらワタシは、形から入るタイプのようである。 形から入るタイプの方は、例えば「note」を始めよう!となったら、思いついたことを思いついた時に書けるよう、モバイルWi-Fiルーターを買ったり、Bluetoothのキーボードを買ったりするのかもしれない。 そういった用意をしてモチベーションを高めてから、高いモチベーションでもって記事を書き進めていくのだろう。ゆえに、「結果的に初動が速い」……そんなイメージがある。 しかしワタシは、そう
すっかり、久しぶりの投稿になってしまった。しかし、これには理由があるのだ。 きっと、すぐには信じてもらえないことだろう……が、そのように考えて発信を控えてしまうと、それは望ましくない風潮をつくることに繋がりかねない。 だからこそ、ワタシは書く。発信する。 この1ヶ月半ほど、ワタシは誘拐されていたのである。それも、地球外の……“何らかの存在”によって。 あ、信じていないでしょう?
ワタシは本当に、何をやっても「続かない人」である。 熱しやすく冷めやすい、と言うこともできるかもしれない。しかし、熱に喩えて言うならば、熱が高まるタイミングが読みにくい・気がつくと熱した状態になっている、また、熱の維持が難しい(保温性に欠ける)……こんな説明のほうがしっくり来る。 加えて、熱が他のモノに伝わりやすい・移りやすい、というところもある。まさに今、こうして「他にどんな喩えが可能だろうか」と考えるのに熱中し始めてしまったことで、本筋に戻れずにいるのが良い例であ
その1 何日、空いてしまっただろうか。「三日坊主」どころの騒ぎではない。(何日か数えようとしないあたり、まさに惰弱である。) その四字に当てがうことで、ワタシが自身の性質を正当化するのは、元祖の三日坊主サマに失礼きわまりない。 ただ、こうなることを予見しつつ、その上で始めたnoteですし……何卒、お手柔らかにお願いできませんか?(これはアナタに言っているようで、ワタシに言っている。アナタも聞き入れてくださるなら、それはそれは願ってもないことです……。) その2
週末、土曜の午下り。 ……冒頭から、何の意図もない。言ってみたかっただけである。 ひるさがり。念のためにつけ加えておくと、決して覚えたてホヤホヤの言葉ではない。また、覚えたての言葉を使ってみたい年頃というわけでもない。数えきれないほど目にしてきた言葉だったが、そうそう使う機会が無かったのだ。 そして恐らく、今日も機会は逃している。もう、ヒルサガリが適用できる時間帯ではないはずだ。ならば。 ヒルアガリである。
意図のない話 これは、伝説的・天才的な漫画家が遺した「意図のない話」というエッセイ、その書き出し部分である。 『もものかんづめ』には「奇跡の水虫治療」や「メルヘン翁」などの怪作が収録されているが、その中でも「意図のない話」は形式・内容の両面において異彩を放つ作品だと思っている。 (もっとも、作品のもつ破壊力・インパクトという点では、やはり「メルヘン翁」が頭抜けている。読者を選び、好みも大きく分かれるものかもしれないが……。) 未読の方もいらっしゃるだろう。そのような