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【短編小説】オレンジ色とゴールド

「ねえ、どんなのがいい? あの虹色のストライプのワンピース、どう? あ、ラベンダー色のドレスもいいわね。ね、どう?どれがいい?

ねえねえ、せっかくだから色んなお店を見て、沢山衣装を見て、最後に一番あなたが気に入ったのにしましょうよ。ねえねえ、そうしよう!」

「うん、そうだね。色んなお店に行って、沢山衣装を見よう。」


今日の母親は上機嫌だ。念願の、ステージ。と言っても母のではなく、私、娘のピアノコンクール出場。コンクールで着る服を一緒に選ぶ為に、二人で買い物に来たのだ。母は目を丸くし、見開き、イキイキと私の衣装を選んでいる。まるで母が努力してとった出場みたいだ。くすくすと、私は笑う。私ははっきり言って、どのドレスでもいい。どれも綺麗だし、可愛いし、母が選んでくれたものを着たい。これこそが、私の夢だったんだ。コンクールも嬉しいけれど、違う。私の夢は、母が私の為に選んだ服を着ること。
私たちは二件目のブティックへと移動した。黒とシルバーの外観は、とてもシンプルで、とても豪華だ。たった二色でこれほど堂々としている。コンクールの衣装は二色がいいかも知れない、と私は思った。


「ねえ、こことっても素敵ね!黒とシルバーの入り口。たった二色でこんなに堂々としてる!早く入りましょう。楽しみだわ!」

「うん、入ろう。私も楽しみ。」

私も同じ事を思った!とは、言わなかった。ううん、言えなかった。なんか照れくさくて。母と同じ事を、同じ瞬間に思った、ということが、何だか私には照れくさかった。

「ねえ、このオレンジ色にゴールドの帯のようなの、どう?これとっても素敵!ステージで映えそうだし、この二色の組み合わせ、あまりないんじゃない?いかにも特別な日って感じがする!それにね、さっきこのブティックの前に着いた時、色は二色がいいかもって思ったの。ほら黒とシルバーの二色の外観、とっても素敵だったと思わない?」

「ほんとだ、オレンジ色にゴールド、とても綺麗! 他の人とかぶらなさそう。」

「試着してみようよ。すいません、このドレス試着させてください。」

私の返事も聞かないまま、母は店員を呼んでしまった。くすくすと、私はまた笑う。やっぱり母の衣装を選ぶみたいだ。私の夢は、今、叶おうとしているんだな。そう思うと、とてもとても嬉しかった。

「背中のチャックをあげさせていただきますので、チャックは開いたままカーテンを開けてくださいね。」

私は返事をして、カーテンを閉めた。外から母と店員の会話が聞こえてくる。

「この度はどのような機会でドレスをお召しですか?」

「ピアノコンクールなんです!娘の!私、ずっと見たかったんです、娘がコンクールでピアノを弾く姿!順位なんてどうでもいいの。私は、娘がコンクールで、ステージで、ピアノを演奏している姿が見たかったんです。だから私、今嬉しすぎて!」

「まあ!それはそれは!お母さまの願いが叶われて、とてもお幸せですね。おめでとうございます。」

「チャックお願いします。」 私はカーテンを開けた。

「わあ!夏海ちゃん!とっても似合う!とっても綺麗よ!素敵!」

「本当に。とてもよくお似合いです。お肌の色がこのドレスの色に合っていますね。このドレスのお色はなかなか着こなすのが難しいんです。こんなに自然にお似合いになる方は、初めてです。」

「そうそう!夏海ちゃんだから似合うのよ!」

「お母さん、はしゃぎすぎだよ!」 私はまた、くすくすと笑った。

三件目のデパート。四件目のセミオーダーメイドのドレスショップ。私たちの体はクタクタだった。でも母はずっと喋って、ずっと嬉しそうに笑っている。私もとっても、とっても嬉しかった。だって、私の夢が叶おうとしているんだもの。母が選んだ服を着る、という夢。それは、もうそこまで来ていた。最後の最後に、母に選んでもらおう。

「夏海ちゃんの好きな服を選びなさい。夏海ちゃんが欲しいものを買ってあげたいの。お母さんは、夏海ちゃんが自分で選んだものを着させてあげたいのよ。ふふ。お洋服選びって楽しいわね。」
小学校の入学式と卒業式。私ははっきりと覚えている。母は同じことを私に言ってくれた。私自身が着たいと思うものを買いなさい、買っていいのよ、と。普段、私はいつも姉のお下がりを着ていた。姉が羨ましかった。いつも新品の服を着ていたことではなく、いつも母に選んでもらった服を着ていたこと。姉はいつも嬉しそうだった。母に選んでもらうこと。姉は自分で選びたいとは、私の記憶の限りは一度も言ったことがなかった。お姉ちゃんは、知っていたのだ。

「夏海ちゃん、大事な衣装だから、今日は帰って、一晩寝てから決めましょう。大事なことは急いではだめよ。どれだけ有頂天でも一度時間をおくの。大事だからこそ、時間をかけるのよ。ね、そうしよ!」

「うん!そうする!」
心の中で、母はどれが一番良かったと言ってくれるだろうと、私はわくわくした。夏海、今日いい顔してるわね、と母が言った。


「この度はご愁傷様です。」

今日はもう耳にイボができそうなくらい、この言葉を聞いた。通夜と、葬式の準備で、私たち家族は悲しむ暇もない。

夏海ちゃん、お姉ちゃん、これからは二人でお父さんを支えてあげなさいね。

お姉ちゃん、夏海ちゃんをしっかりお世話してあげてね。夏海ちゃん、お姉ちゃんの言う事をしっかり聞くのよ。

夏海ちゃん、お母さんの楽しみにしていたコンクール、頑張るのよ。お母さんが空から見てるからね。

夏海ちゃん、まだまだ子供のあなたには辛いでしょう。いつでも叔母さんの家に来ていいからね。鍵、渡すわね。自分の家のように出入りしなさい。ね、分かった?

「夏海、おいで。おじいちゃんは夏海といるから。いいよ、泣きなさい。おじいちゃんは夏海といるからな。支えろとか、言う事を聞けとか、もう少しマシなこと言えないのかね、あの人たちは。」

私はおじいちゃんの横で、身体をくっつけて泣いた。

あの日の帰り。オレンジ色とゴールドの眩しい光が広がる、広い広い夕焼け空の下、母は逝った。歩道橋の階段を上がる途中で突然フラフラとした母は、そのまま階段を転がり落ちた。母がいつでも死ぬ病気だったことを、私は父と姉から病院で聞かされた。なんで早く言ってくれなかったんだと、そんな怒りは通り過ぎ、違う怒りが湧いた。死因は病気ではなかった。死因は階段から転がり落ちて、頭を打ったことだった。

なんで?どうして?なぜ、神様。

私が母の体を支えることさえ、出来ていれば。私が、もっとしっかりしていれば。いや、それでも、翌日に母は病気で死んでいたかも知れない。でもー。

最後の最後に、母は私の夢を叶えてくれた。母が私の為に選んだドレスを、私は試着室で着たのだ。歩道橋を上りながら、母はオレンジ色とゴールドのドレスが一番似合っていたわ、と微笑んだ。


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