時の焼却炉
夏休みが終わると、ぐっと秋の気分が高まってくる。
九月、という数字だけ見ると秋なのだが、気温はまだ夏だ。
この夏の間、私は本当に何もできなかった。
考えてみれば、昨年も夏は何もできなかった。
何かを進捗させた、という実感もなく、今年も八月が終わった気がする。
ここ数日、台風の影響もあってか、湿気はあったがひと頃よりも、ずっと涼しかった。その間、ここ二か月ほど停滞していたものが、少し前へ進んだ。なんとなく復調の兆しを感じて、ほっとしたのと同時に、おや? と思った。
やっぱり、この停滞は異常な《暑さ》のせいだったのではないか。
私は極端に暑さに弱い。
子供の頃からそうなのだが、とにかく体に熱がこもる。ひとつひとつ動作をする度に、ふうふう、と息が上がり、脳みその奥がくらくらしてくる。当然ながら、汗っかきである。汗をかくくせに、体からなかなか熱が逃げない。
そういえば実家にいた頃、母が畳を眺めながら、首をひねっていたことがあった。畳の一部分だけ、色が変わっている、と言うのだ。
どれどれ、と覗いてみると、確かに畳がそこだけ染みたような色をしていた。
なんだろうねぇ。
と言っているうちに夜になり、布団に入って、ごろんと横になったそのとき、
「あっ!」
寝転がる私を見て、母が大きな声を上げた。
いやな虫でもいたのかと思って飛び上がったら、
「あなたのせいじゃないの!」
と叫んだ。
突然の非難に、むっとしていると、
「畳よ! 畳! あなたが寝ている真下の畳の色がおかしいんだわ!」
母は指差して言った。
昼間見た畳の謎の染みの上に、私の体があった。つまり、私の背中から放出された熱気と湿気が、畳に染みを作ったのである。
母は鬼の首でも取ったかのように、
「あんたがいると家が傷むわ」
と言い、まるで私がシロアリでもあるかのように責め立てた。
そして先日、夫が私の布団を上げたとき、裸足の足をバタバタさせ、
「なんだぁ!?」
と、怖れの入り混じった声を上げた。
何か気味の悪い物でも踏んだのかと思い、
「どうしたの?」
と、近づくと、
「熱い! 畳がすごく熱い! しかも湿ってる! 気持ち悪い! なんなの?」
またもや背中に溜まった熱が敷布団を通過して、畳まで到達したらしい。
夫は、顔を歪ませて畳に扇風機を当てると、私の背中にこれでもかと、冷感スプレーを噴きつけた。
……私だって、好きで熱気と湿気を放出しているわけではない。
母は自らの意志で私を産み、夫も自らの意志で婚姻届に判をついたのである。
自分の意志でもって、熱々で湿り気のある人間を傍に置いているのだから、畳を温め、湿らせる程度のことで騒がないでほしい。
それに、私の体から熱が逃げず、熱々のままなのには真っ当な理由があるのだ。
ひとまず、その証拠となる写真をご覧ください。
私はここ数年、夏が来ると毎年欠かさずやっていることがある。
それは、花火でもなく、バーベキューでもなく、この場を借りて、ただひたすら、我が家の台所の暑さを訴えることだ。
無論、今年も我が家の台所は暑かった。
我が家の台所はピーク時には連日35度を超えてくる。
しかも、エアコンもなく、角部屋で日が当たる、実に強烈な台所なのだ。しかも夏の酷暑のせいで、新品だった換気扇の羽が二年で割れる。
たった二年で、新品の換気扇の羽を経年劣化させる。
と、いうことは毎日この台所に立っている私は、人より余計に劣化しているということになる。恐ろしい。
そんな台所での調理を強いられるせいで、私は体力、気力、忍耐力、精神力などの、多くの力を奪われているような気がしてならない。
しかも、何かを進捗させた、という実感なく八月が終わったということは、我が家の台所は、私の時間すら奪っていった可能性があるのだ。
そんなわけで、今年も夏はどこに出かけるでもなく、暑い台所と戦うだけで時は焼け溶けていった。
ここ数か月のうちに撮影した写真の中で、唯一、夏であることを認識できるのは、この温度計の写真一枚だけである。
まだまだ夏の名残りに苦しめられそうな雰囲気があるものの、既におせちの予約が始まっているらしい。世間の時間感覚と、自分の時間感覚がどんどん開いて、まるで夢の中にいるような気持ちになってくる。
本当に、今年の夏も暑かった。
これまでの夏の戦いの歴史。
そして、換気扇の羽が割れた。