タイパに目覚める
今は何でも、時短が叫ばれている時代である。
世の中にはありとあらゆる時短グッズが登場し、多くの人が、そういった製品を買うことで、僅かばかりの時間を買っている。
かけた時間に対する満足度が高いかどうか。
いかに効率よく時間を使うか。
「コスパがいい」
は、一般的に使われる言葉になったが、今はそのコスパを凌ぐ勢いで、
「タイパがいい」
と、いう言葉が使われ始めている。
それだけ、令和を生きる人々は、時間を有意義に使いたい、という欲求が強いのかもしれない。
その日、夫がクラシックを聴いていた。
タイパとは真逆の、午後の優雅なひとときである。
しかし、最近、どうもステレオの調子が悪い。モーツァルトを聴いても、ベートーヴェンを聴いても、急に走り出したかのようにキュルキュルと、音飛びするのだ。
良い感じで、ピアノが音を奏でているなぁ、と思って聴いていたら、キュルキュルしはじめ、急にヴァイオリンが鳴り出したりする。
こうなると、どんな名曲も台無しだ。
それでも夫は辛抱強く、ステレオで音楽を聴き続けている。
脇で、聴くともなく曲を耳にしている私は、その音飛びが気になって仕方がない。
「ねぇ、こんなに音飛びしてるのに、気にならないの?」
私が訊くと、夫は、
「ステレオが、曲の聴きどころを編集してくれているんだよ」
などと言い出した。
だとするならば、随分と乱暴な編集だ。
そろそろ新しいのを買ったらどうだい?
と言おうとしたとき、夫は、何かひらめいたような顔をして、私に言った。
「ほらほら! 最近流行りのアレだよ、アレ!」
どれだよ。
「タイパだよ、タイパ!」
「タイ料理でパーティー?」
「違うよ。タイムパフォーマンスだよ。最近流行ってるでしょう? タイパ。とうとう、うちのステレオもタイパに目覚めて、ファストミュージックを始めたんだよ」
冷やし中華を始めるような気軽さで、急にそんなことを始められても困るのである。
近頃ではタイパを重視するあまり、結末までのストーリーをかいつまんだ、ファスト映画なるものが流行したりと、これまでの価値観を揺るがすような現象が起こっている。
夫は、これは音飛びなどではなく、ファスト映画ならぬ、ファストミュージックだと言いたいらしい。
このステレオは、夫が独身時代に購入したもので、買ってからすでに30年が経過している。自分の妻より長い付き合いになる年代物のステレオを、夫は愛しているのだ。その音飛びを、タイパだ、ファストミュージックだと言って庇う夫の健気さが、何ともいじらしい。
一つの物を長く使い、愛するということは素晴らしいことだ。
斯く言う私も、だいぶ年代物になってきた。この調子で、夫にはステレオ同様、古女房の方も大事にしてもらえると有難い。
我が家の30年物のステレオは、音は読み込まなくなったものの、時代を読む力を手に入れた。
私は、無理矢理そう思うことにして、ファストミュージック(音飛び)を、右から左へ聞き流した。
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