山手線の蛇
今年も残り僅かとなった。
2024年は辰年だったので、来年2025年の干支は巳年となる。
確かあれは、今年の5月のことだったと思うのだが、
《山手線の車内に蛇が出た!》
というニュースがあった。
山手線といえば、渋谷、新宿、原宿、恵比寿、池袋と大都会を走る電車というイメージが強い。
都会と蛇。
並べてみても、随分と不釣り合いな気がする。
親戚に巳年の人もおらず、あまり蛇に馴染みのない生活を送っているが、奈良にハイキングに行ったとき、一度だけ野生の蛇に出くわしたことがある。
動きが想像よりも、ニョロついていなかったせいか、私はそのニョロニョロしたものを、手足のついているカナチョロ(ニホンカナヘビ)だと思い込んだ。旅の高揚感もあってか、何だか特別なものを発見した気分になって、
「わぁ、カナチョロだぁー」
子どものような無邪気さで近づいていったら、
「おやおや、蛇が好きなんだねぇ」
背後にいた夫が私に言った。よくよく見たら手足がない。ギョッとして、思わず後ずさった。もっと率直に、
「それは、カナチョロじゃないよ。蛇だよ」
と忠告してくれればいいものを、夫はいつも、そんな持って回った言い方で、妻をおちょくるのである。
だが、《手足が生えているか、いないか》だけで、向かい合った生き物の怖さが変わってくるのはなぜだろう。
手足があると、動きがなんとなく想像できるが、手足のない生き物は、どういう動きで襲い掛かってくるかわからない。そんな予測のきかないところが、余計に恐怖心を掻き立てている可能性もある。
もしかしたら人間は、本能的に手足がないものを、恐ろしいと感じる生き物なのかもしれない。江戸時代のの幽霊画に手足がないのは、その本能を絵師たちが無意識のうちに感じ取っていたからではないだろうか。
そういえば、私の母の財布には、本物の蛇の抜け殻が忍ばせてある。
文庫本を縦に切ったくらいの大きさの白い厚紙に貼られており、鱗のような網目模様が、美しいようでいて、どこか恐ろしい。
蛇の抜け殻は金運アップのお守りで、縁起ものだといわれている。
蛇に対する恐れは、恐怖よりも《畏怖》であると感じる。
縁起がいい神様だと祀ることで、怖さから離れることができる。敬うことで、一歩下がることができる。
だが、電車で蛇と遭遇したら、そうはいかない。
「ぎゃっ!」
と飛び上がり、一歩ではきかず、二歩三歩、いや隣の車両にまで逃げ込まないと気が気ではない。予測不可能な蛇の動きに、乗客は翻弄される。本当に苦手な人なら、次の駅で電車を降りてしまうだろう。5月に山手線の車内で蛇に遭遇した乗客の皆さんも、さぞ、肝を潰したに違いない。
私は東京で生まれ育ったが、都会で野生の蛇など見たことがない。
一体、何故、蛇が山手線に紛れ込んだのか……。
世の中には蛇をペットとして飼育されている方もいらっしゃる。そういった方が、蛇を持ち歩いていたのかもしれないが、もし、その周辺に壺か笛でも落ちていたら、蛇使いが山手線に乗っていた可能性もある。想像すると、なんともエキゾチックだ。
「それにしても、蛇はどうやって電車に乗ってきたのかねぇ」
一緒にニュースを見ていた夫に言うと、
「suica使って乗ってきたんじゃない?」
何食わぬ顔で、平然と言い放った。
suicaを口にくわえて、長い首をさらに持ち上げながら、ピピッとタッチする蛇を想像すると、妙に親近感がわく。
もしそんな蛇がいたら、それはそれで、また人間から祀り上げられたりするのだろう。山手線のゆるキャラとして、蛇が採用される日も近いかもしれない。
そんなことを考えていると、夫がまた横で何か思いついたらしく、目をキラキラさせながら、こんなことを言い出した。
「あっ! でも、蛇はニョロニョロしてるから、Suicaじゃなくて、nyorocaだね。『電車にニョロか?』なんつって!」
今年も、おあとがよろしいようで。
5月の山手線の蛇騒動。なんと2700人に影響が出たそうです。