新生活をどう過ごすか
そろそろ新生活に向けての準備を始める人も多かろうと思う。
人生の様々な節目に、引っ越しはつきものだ。新生活に向けて、家電を準備したり、部屋を探したりと、芽吹き時というのはどうにも落ち着かない。
新生活というものは何もかもが新しい。
新しく住む町に慣れるまでは、目に映る全てのものが自分に抗っているように感じてしまうものだ。
数年前、埼玉に引っ越すことが決まったとき、東京生まれ東京育ちの私は、故郷から離れる切なさを感じていた。でも、なんだかんだ言って埼玉は東京から近いし、隣県だし、さほど東京と変わりがないだろう、なんて高をくくっていた。
が、実際暮らしてみると、食文化も当然ながら、肌で感じる空気が違うことに驚いた。
とにかく埼玉は風が強かった。
東京では感じたことのない風が、びゅん、と音を立てて髪を乱したとき、私の心も髪同様に乱れたものだ。
それだけではない。
買い物に出たとき、夕焼け空を黒い影がバサバサと通り過ぎたことがあった。それまで、空にはばたく黒いものといえば、カラスくらいしか思い浮かばなかったが、私の目の前を通り過ぎた黒い影は、どう見てもコウモリだった。
東京で一度も見たことのないコウモリを、あっさりと埼玉で目撃してしまった衝撃は、埼玉に暮らして8年近く経った今でも鮮明に記憶している。
これまで暮らしてきた東京との違いをまざまざ感じる度に、郷里から離れてしまった切なさが、私の胸を突き上げた。
だからこそ、私は早く埼玉に慣れなければと思った。いつまでも郷里、東京の面影にしがみついているわけにはいかない。
私は好きな場所を見つけようと探し歩き、お気に入りのパン屋やうどん屋を見つけた。食いしん坊なら、舌からその街の良さを知るのも有効な方法だ。
だがそれ以上に、新しい土地に馴染む第一歩は、
住んでいるところのゴミの日をきちんと把握すること
ではないかと私は考えている。
生活していると、どうしても出てしまうものがゴミ。
「えーと、今日は金曜日だから、あれ? 何のゴミだっけ?」
といちいち確認するようでは、まだまだその地域の新人だ。
月火水木金土日のうち、どの曜日に何のゴミが収集されるかが記憶に定着すると、生活の安定感が増す。
何も考えず
「あー明日は月曜日か」
と呟いた後、
「じゃあ明日は、瓶と缶とペットボトルだな」
と自然に口をつけば、地元民としての地位を確立したと言っていい。それほどまでに、ゴミ収集日の把握は大事なことだ。特に、生ゴミや燃えるゴミの日は、すぐさま記憶に定着させたい。
ちなみに、我が家の生ゴミの日は火曜日と金曜日である。
収集日の朝になると、各部屋のゴミを1つに集め、ギュッと縛って集積所に持って行くのだが、ゴミ袋を縛る段になって急に、部屋に落ちている小さなゴミが気にかかることが多い。
根が貧乏性なのだろう。せっかく収集に来てもらえるのだから、家に落ちているゴミをできるだけ持って行ってもらおう、という欲が芽生えるのだ。
ある朝、私はいつものように部屋のゴミ箱を脇に抱え、落ちている髪の毛を拾っていた。
すると夫が、そんな私を見るなり言った。
「あ、ミレーダ」
私は体をカタカナの「ク」の字に曲げ、落ちている髪の毛を拾いながら訊く。
「ミレーダって何よ?」
夫はニマニマ笑う。
「ゴミを拾っているその姿、あの名画さながらだねぇ」
そこまで言われて、ようやく気付いた。
夫は「ミレーダ」ではなく、
「ミレーだ」
と言っていたのだ。
つまり夫は、私のゴミを拾う様が、ミレーの名画「落穂拾い」の姿にそっくりだと笑っていたのである。
私はムッとした。
朝っぱらから随分と人をからかってくれるではないか。
私は憤然としながら言う。
「これじゃ落穂拾いじゃなくて、落ち毛拾いだよ。あなた昨日の夜、ドライヤーで髪の毛乾かしたあと、コロコロしなかったでしょう!」
「ん?」
コロコロとは、粘着カーペットクリーナーのことである。
「あなたが、夜のうちにちゃんとコロコロしといてくれれば、私も朝っぱらからミレーにならずに済んだんだけどねぇ!」
ドスを利かせながら私が言うと、夫も体を「ク」の字に曲げ、慌てて落ち毛拾いに加わった。
新生活は、何も学生や新社会人だけのものではない。結婚もまた、新生活のひとつと言える。
これから新婚生活を始める皆さん。
ドライヤー後の抜け毛をきちんと掃除し、いち早くゴミの収集日を憶え、自ら率先してゴミ出しをすれば、このような揉め事はなくなります。
あと、なんだかんだでコロコロクリーナーは便利です。新生活の際、買っておいて損はありません。
新生活、緊張や不安があるかと思いますが、人間は慣れる動物です。その「慣れ」の第一歩がゴミの収集日の把握です。引っ越し当日に、ゴミの日を書き出し、新居の目につくところに貼っておくのをおすすめします。
新生活を送る皆さんに幸あれ!