二時間半の反抗期
私には反抗期というものがなかった。
父親が年中反抗期状態の飲んだくれだったので、その上私まで反抗したら、母があまりにも不憫だと思ったからである。
しかし、そんな私にもやりきれないことはあるのだ。
ある日、母と言い争った末、私は財布片手に家を飛び出してしまった。
当時、高校二年生。
季節はまだ暑さの残る9月頃であった。なぜ、そんなことを憶えているかというと、その日珍しく私は膝丈のズボンを履き、青いダボダボのTシャツを着ていたからである。
そのとき私は学校に向かっていた。私は学校が苦手だったが、生徒がいなくなったあとの、喧騒の名残る学校は好きだった。学校までは、バスと電車を乗り継いで、一時間ほどかかる。
車窓から見える空に、じんわりと赤みがさしはじめる。暮れなずむ秋の景色を眺めていたら、私は徐々にセンチメンタルな気分になっていった。
己の境遇を哀れむあまり、窓に映る瞳には、うっすらと涙がにじんでいる。
もし、ここに白馬に乗った王子様がやって来て、
「わたしと一緒に、この世界から逃げましょう」
などと持ちかけられたら、
「ハイ!よろこんで!」
居酒屋の庄やの如く軽快な返事をし、王子様について行ってしまっただろう。
そんなヒロイン思考全開の中、私はうっとりしながら学校に辿り着いた。職員室には、数人の先生たちが残っていた。突然普段着でやってきた私に、
「おお、どうした?」
学年主任の先生が目を丸くして訊いた。
着の身着のままで、襲来する悲劇のヒロインほど迷惑な生き物はいない。
私は伏し目がちに、
「親と喧嘩して家を出てきました…」
そう言うと、なぜか先生はニヤニヤ笑った。
何わろてんねん。
私がダウンタウンの浜ちゃんなら、この学年主任の頭をぺしんとひっぱたいたことだろう。
「そうかそうか、ああそうか」
先生はまだニヤニヤしている。もう少し神妙に話を聞いてもらえると思ったのに、なんとも肩透かしである。
そして、そそくさと帰り支度を始めながら、
「悪いんだけど俺さ、これから予定があるんだよ。いやぁ、そうか、家出か。うんうん、そういうことできるようになったんだな、俺、安心した。じゃあな!」
そう一方的に言い放って、先生は颯爽と帰ってしまった。
勝手に安心しないでもらいたい。こっちは悲劇のヒロインの心づもりでやってきたのだ。少しくらい相手をしてくれてもいいではないか。
うら若き(しかも17歳)のヒロインを置いて帰るなんて、何とも不届きな教師である。
あとから知ったことなのだが、どうやらその日、先生はデートだったらしい。生徒より恋が大事。いくら教師であろうとも、そんな日があるのだ。
仕方ないので、少し校内をブラブラしていた。他の先生たちも忙しそうである。仕事の手を止めさせてまで、聞いてもらうような話ではない。結局手持ち無沙汰になり、私は学校を後にした。
先程までのヒロインは鳴りを潜め、随分と気持ちが落ち着いてしまった。何で母親と揉めていたのかさえ、もはやわからなくなっていた。
電車に乗り、車窓に映った自分の姿を見て、私はギョッとした。勢いよく飛び出したときは気にならなかったが、酷い格好だ。これでは近所のコンビニに行くつもりで、うっかり電車に乗ってしまった人ではないか。
乗り換えのために新宿で降りたとき、フォーマルな装いの大人たちに囲まれて、余計に恥ずかしかった。ギターの一本でも担いでいたら、新宿の街をならす、若きストリートミュージシャンと勘違いしてもらえたかもしれないが、私が手にしていたのは財布だけである。
家に着き、小さな門をカラカラ開けると、その音を聞きつけた母が血相を変えて外に飛び出してきた。
「あんたどこ行ってたの!」
どうやらそれなりに心配してくれていたらしい。
なんだかんだで、17歳の悲劇のヒロインを、一番情熱的に出迎えてくれたのは、他でもない母その人であった。
こうして私の反抗期は、たった二時間半で終わりを告げたのである。
店員さんの接客が軽快です。
今、基本的には企画に参加してないのですが、筆が進んでしまいました。
書いていて懐かしく、何より楽しかったです。 お読み頂き有難うございました。
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