「本人」というタスキ
選挙が終わった。
候補者の皆さんは、ひと安心した方もいれば、明日からの食い扶持はどうしようと、青い顔をされている方もいるかもしれない。政治、というものを脇においてみても、悲喜こもごもは、どの世界にもあるものだと思ってしまう。
選挙があると、選挙カーがやってくる。衆議院選挙のような全国区の選挙ならまだいいのだが、これが区議会、市議会選挙になると、わんこそばの如く選挙カーはやってくる。
そりゃあ、立候補したからには一票を獲りたい。そして選挙カーが、自分を喧伝するのに手っ取り早いと思う気持ちもわからないでもない。だが、それを《仕方ないね》と許容する気はなかなか起こらない。
それほど選挙カーはうるさい。
そんなことをいうと、政治に無関心だ、などとお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないが、うるさい、と思う気持ちは、頭が痒いと思うのと同じく、堪えがたいものだ。頭が痒ければポリポリ掻けばいいが、選挙カーは耳を塞いでもどうにもならない。耳栓をしたとしても、ぼわんぼわんとくぐもった音が聞こえてくる。意思のある人の声というのは、やはり気になるものだ。
先日も、ぽつぽつと小説を書き進めていて、ああ、いい表現が思い浮かんだぞ! と思った途端、
「〇〇でございます! 今日は候補者本人が助手席に乗っております! ありがとうございます!」
と、やってきた。
そうか、本人が乗っているのか。
と思った刹那、私の頭の中から、浮かんだ言葉がするりと滑ってどこかへ行ってしまった。さようなら。
逃がした魚は大きい。
私にとって、逃げていった言葉はもっと大きい。
もぉー!
地団駄を踏み、私は牛のように叫んだ。
ちなみに私は午年。午年は、怒って一本の角が生えると牛になるのだ。
もぉー! こうなったら私が選挙に打って出て、選挙カーを無くそうか、なんて思ってしまう。
〇〇党の〇〇さん、あのとき思い浮かんだ私の言葉を返してください!
突如噴出した選挙カーへの不満はさておき、選挙といえば、他にも気になる、ちょっとおもしろいなぁと思っていることがある。それは、
本人
と書かれたタスキだ。(タヌキじゃないよ)。
選挙は多くの場合、候補者一人で活動するわけではない。候補者を支援する人たちも、一致団結とばかりに同じユニフォームを纏っていたりする。顔の知られた有名人なら見分けがつくが、そうでない場合、どの人が候補者なのかわからない。
そこで編み出した苦肉の策が、《本人》のタスキなのだ……と思っていたが、実はあの《本人》タスキは、選挙期間外で演説をするときに掛けるものだそうだ。
選挙期間以外は名入りの幟やタスキを用いた政治活動は行えない。 と公職選挙法で決められているらしい。
私がはじめて《本人》のタスキを見たとき、とても不思議な気持ちになった。あのタスキを掛けるとき、本人はどんな気持ちになるのだろう。私なら、本当に私は《本人》なのだろうかと思い始め、深淵から戻って来れなくなりそうだ。
そんな思いにふける一方で、《本人》のタスキを肩に掛けた男性は、生き生きとした表情で、
「ご通行中の皆様……」
と話を始めている。立ち止まる者はいない。それでも《本人》タスキの候補者は、構わず話し続ける。
それを眺めながら、私はまた思う。
もし、ここで私がタスキを奪って、肩に掛けたら、私は候補者をを装うことができてしまうのではないか。多少手荒ではあるが、本人から《本人》を剝奪することは可能だ。
しかし、別にそんな物騒なことをしなくとも、どこかで売っているかもしれないと調べてみたら、案の定あった。
入手したタスキを掛けて、しれっと候補者の横に並んで見せたら、通行人はどちらを本物の候補者だと思うだろう。 そんなことを想像するだけで、なかなか楽しい。やはり、この《本人》タスキは、見る者の想像力を掻き立てるシュールなアイテムであると思う。
私には全く縁はないが、どうやら明日はハロウィンらしい。
また渋谷あたりでDJポリスが、うようよ湧き出す仮装者を誘導してさばいていくのだろう。だが、あんな面倒な仮装をしなくとも、この《本人》タスキ1本あれば、衆院選の余熱が続く今なら、いつでもどこでも政治家風のコスプレができてしまう。
スーツを着るようなお仕事の方なら、この《本人》タスキをバッグに忍ばせておけば、さっと取り出し、タスキを掛けるだけでお手軽仮装の完成だ。
とはいえ、できることなら選挙カー同様、あまり騒ぎ立てずに、秋の夜長を過ごすほうがいいと思うのは、昭和生まれの小言めいた戯言なのかもしれない。
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