すき焼きのテンション
私はすき焼きに関しては至ってクールな女である。
すき焼きがご馳走であることは重々承知しているし、食べれば美味しいこともわかっている。しかし、今夜がすき焼きだからといって、その日一日機嫌がよかったり、帰り道にステップを踏んだりはしない。
すき焼きよりも、好きな食べ物はいくらでもある。ワンタンメン、たらこスパゲッティ、ジンギスカン、もつ鍋、玉子。すき焼きは、それら好物の中に割って入るような料理ではない。単価が高く贅沢品ではあることは認めるが、目の色を変えるほど、私はすき焼きに思い入れはなかったのだ。
二月末のこと。その日の夕飯はすき焼きを予定していた。
すき焼きというものは《お祝い事があるときに食べる》というイメージがある。年末年始になると、スーパーでは必ずといっていいほど、すき焼き肉が並べられる。さしの入った大判の薄切り肉は、ご馳走そのものだ。年末年始の肉売り場に漂うお祝いムードは、すき焼き肉から醸し出されているといっても過言ではない。
しかしこの日、我が家には何の祝い事もなかった。
ふるさと納税の返礼品であるすき焼き肉が届いてからひと月が経過していた。冷凍焼けする前に食べた方がいいのではないかと、夫婦で意見がまとまったのだ。
そう決まったはいいものの、どうも落ち着かない。
牛肉を解凍したが、今、我が家には何の祝い事もない。いくらすき焼きに思い入れがないとはいえ、なんでもないただの二月に、すき焼きなど食べてもいいのだろうか。節分もバレンタインデーも、唯一祝えそうな天皇誕生日も過ぎてしまった何もない二月の夕飯に、すき焼きなんか食べて、誰かに後ろ指をさされたりしないだろうか。
それに、我々に食べられる牛肉だって、お祝いも何もない普通の夕飯に食べられると知ったら、さぞかしガッカリするだろう。そう思うと、牛に申し訳ない。
だが今更、後戻りはできない。
冷蔵庫には既に、解凍された牛肉が出番を待っているのだ。
私は、急に沸き上がってきた後ろめたさを振り切って、スーパーに向かった。焼き豆腐、白滝、卵、春菊、長ネギなどをカゴに入れ、酒売り場で、ビールとワインを追加した。レジに向かうと、店員さんがカゴの中の商品をひとつひとつ持ち上げ、バーコードを当てている。そのとき私はふと思った。
これは完全にすき焼きではないか。
そこに肉は無いが、いかにもすき焼きを食べる人の買い物である。ここに春菊さえなければ、「今夜は肉豆腐です」と、しらを切り通せるかもしれないが、このラインナップの中に潜む春菊は《すき焼き》というメニューを思い浮べるのに十分な匂いを放っている。
普段ならばそんなことは気にも留めず、会計を済ませているが、相手がすき焼きとなるとそうはいかない。目の前にいる店員さんにも、既に我が家の夕飯がすき焼きだということはバレているだろう。そう思うと、現状を取り繕わなければならないような気持ちが沸き上がってくる。よせばいいのに、私は口を開いた。
「なっ、なんだか、今夜の晩御飯がバレちゃいそうですねー。あはははは!」
夕暮れ時のスーパーに、私の笑い声が思いのほか大きく響く。そのあまりに空虚な響きに一番驚いたのは私自身であった。祝い事でもないのにすき焼きを食べる後ろめたさが、私の情緒をおかしな方向へ走らせてしまったのである。店員さんはマスク越しにニッコリ笑ってくれたものの、私はただただ赤面するしかなかった。
そそくさと買った品をショッピングカートに詰め、私は大急ぎでスーパーを後にした。
家路に向かう途中、重たいカートを引きながら、もしかしたら私は、
今夜はすき焼き
という事実に、浮かれていたのではないか。そんな疑念を持ち始めた。
高価で贅沢なものに気後れする小心さが、《お祝い事じゃない日のすき焼きは後ろめたい》だの、《買い物カゴの中身がいかにもすき焼きだ》という思考を浮かび上がらせ、結果、
「あはははは!」
こんな恐ろしく空虚な笑い声を店内に響かせてしまった。
すき焼きのせいで、私の頭の中は一日中右往左往していた。帰り道にステップを踏まないまでも、私の心は完全に踊っていたのである。
普段滅多に口にしない牛肉をたっぷり食べる日。
贅沢な牛肉を口いっぱいに頬張る日。
その事実は、なんでもない二月の日を《お祝い》のような浮足立つものに変えてしまった。
文章の冒頭で私は、
私はすき焼きに関しては至ってクールな女だ。
そう申し述べたが、それは完全な誤りであった。何がクールだ。クールな人間は、スーパーの店内で、
「あはははは!」
などと恐ろしく空虚な笑い声をあげたりしない。クールが聞いてあきれる。
私は今、全力で前言を撤回したい気持ちでいっぱいである。