学校に行けないって可哀想なの⁉️
【不登校って可哀想..。って何⁉️】
以前、PTAで地区委員やったいた時に
一緒に地区委員をやっていた人から言われた一言。
「学校行けてないの可哀想に。早く行けるようになると良いね‼️」
ん?...ん??と思いながら
ひとまず『あ…ありがとう。』と答えた。
可哀想…?私には全く響かん言葉やった😇
学校行けてないのって可哀想なん?
早く行けるようになった方が良いの?
息子や私を心配して言ってくれたんだろうけど....
私の中で1ミリも思った事のない感覚だから
この言葉わや理解するのに少し時間かかってしまったたわ🤣
二男が学校に行けなくなった理由はあれど
それが可哀想とも思った事はないし
早く学校に行けるようになって欲しい、と思った事もない。
これが価値観の違いね( ˙▿˙ )☝
我が家ポジティブな不登校🍀✨
学校行けてなくても幸せですよ🤭💕
ただ、こんな風に思えるまでは
やっぱり葛藤や戸惑いもあったし
今でも不安に思ったり、全てがポジティブに思えるだけでは無いけれど。
学校に行けない事は可哀想では無いし、不幸でもない。
そういう生き方もある、というだけ。
可哀想かそうじゃないか
不幸か幸せか
…そういうのはその本人、当事者が思うこと。
他の人が判断して札を貼ることではないのです。
それが例え親と子であっても。
そう思うと同時に一方で
学校に行けない、行かない事が
大変で可哀想で不幸だという価値観も
世の中にはあるのも事実。
そこはお互いの価値観を押し付け合うでもなく
『あ、そういう考えもあるね!』とか
『そういう風に思っていたんだね』とか
『自分には無かった新しい見方だ』とか
そんな風にお互いの価値観を認め合えたら良いなぁ
と思う。
不登校の問題は
子どもに問題があるのではなく
大人や周りの無理解。
そんな考えの元
私は学校へ行けない、行かない選択をしている親子
の支援事業を年明けから始めている☺️
親は親で
孤独感や疎外感、不安もあるし、何故か自責もある。
でもそんな気持ちは子供の前では出したくない…
とか。
当事者にしか分からない事や想いがある。
私が受けたかった、欲しかったサービスを
私が提供したい。
そんな入り混ざる色んな気持ちに寄り添って
気軽に入ったり出たり出来る居場所を
ブラッシュアップしながら作っていきたい☺️
(不登校って言葉の響き好きじゃないんよね。なんか良い表現ないかな🤔?)
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