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【適応障害体験記③】適応障害と診断されるまでの記録
私は2021年3月半ばから2ヶ月間の休職中です。
今回は、自分の体に異変を感じてから病院で適応障害だと診断されるまでのことを書きます。自分の体と心にどのようなこと異変が起こったか、ということを詳しく書いていきます。
体と心に異変を感じる
なんかおかしいな、と思い始めたのは地方から東京に転勤してきて半月経ったくらいの頃、2月の頭くらいだったと思います。
夜になると吐き気がするようになりました。
でもその吐き気もそんなに重いものではなかったし、あまり気にしていませんでした。
体調面ではそれだけでしたが、他にももう一つ、変わったことがありました。
仕事をしていて「頑張れない」と思うことが増えたのです。
転勤してくる前も、そういう時はもちろんありました。けれど、その時の「頑張れない」とはなんとなくちょっと色が違っているように思えたんです。
転勤するまでの「頑張れない」は前向きで明るい色をしていました。前提に「頑張りたい」という気持ちがあった上での「頑張れない」でした。だからなんとか自分の気持ちが上向きになるように、同期に電話して気持ちを切り替えたり、気の乗る仕事をとりあえず最初にやったり、少し休憩したりしてなんとかやれていました。
けれどその時の「頑張れない」の色は暗い色をしていました。「もう頑張りたくない」と心が言っていて、だから身体が頑張ることをやめているような、そんな感じでした。それでも業務時間中に仕事をしないわけにはいかないので、今まで通りの頑張る方法を試しました。けれどなぜか仕事の手が止まってしまうのです。
私の仕事はアポイント取りから商談、受注、受注後のフォローまで営業マンが各自で行うスタイルの営業でした。
だから、アポイントのストックがなくなる=仕事がなくなるということになるのです。
なので1週間のうちに数時間あるかないかの心が上向きになる時間帯にどうにかアポイント取りを行って、なんとか「仕事」をしているような形でした。
とりあえず病院に行ってみる
そしてそのような現象は日に日に強くなっていきました。
仕事をしていると、急に喉の奥が気持ち悪くなって、強い吐き気がして仕事の手が止まるようになりました。一人になると急に涙が出て、止めようと思っても一度泣き出すと蛇口をひねって水が一気にダーっと出るように、自分でも怖いくらいの勢いで涙が出て止まらなくなってしまうんです。
アポイントの前は決まって吐き気がするようになり、それを堪えながら商談をして、商談が終わったら数時間泣き続けるということを繰り返しました。
ほぼ業務時間は1日中泣いているので就業日報に書けることがだんだん無くなってきて、なんとかストックしていたアポイントも底をつきそうになっていました。
完全に業務に支障をきたしていたので、病院に行ってみることにしました。
まずは普通の内科に行きました。毎日泣いていて完全に心の調子が悪いのには気づいていたけれど、なんとなく精神系の病院に行くことにはためらいがありました。
自分の中で「私は甘えているから仕事ができないだけ、ただ怠けているだけなんだ」という気持ちがあり、心の病気でもないただ甘えているだけの自分が精神科に行ったら、お医者さんや上司や親に怒られるんじゃないか、と思っていました(今思うと、謎の心配ですが)。
内科では吐き気のことだけを伝えたので、「逆流性食道炎っぽいけど、分からない」と言われ、吐き気止めだけを貰って帰ることになりました。
内科で貰った吐き気止めで吐き気は少しおさまりましたが、涙などの不調は治りません。
内科の次に行ったのは、甲状腺のクリニックでした。甲状腺に不調が起こると鬱っぽくなる、ということをネットで見かけたからです。しかしそこでも異常は見当たらないと言われて、お金だけ払って帰ることになりました。
初めての心療内科を受診する
その日は午前に病院に行って、診察が終わり次第在宅ワークで業務に戻る予定だったので診察が終わった後はクリニックから家に向かうことになりました。
クリニックを出て、電車に乗り家の最寄駅につき、家の方向に歩き出した瞬間、一気に涙が出てきました。それまでは家で一人でいる時以外あまり涙は出なかったのに、その日は駅前の路上で涙が出て止まらなくなってしまいました。
路上で一人号泣している女がいるものですから、めちゃめちゃ人に見られます。恥ずかしくて一刻も早く家に着かなければと思って走り出しましたが、運悪く最初の横断歩道の信号が赤になって立ち止まることに。
涙で霞んで見えにくかったですが、目の前でスピードを出した車たちがビュンビュン走っています。その時、直感的に「ここに飛び込みたい」と思って少し足が動きました。
そしてすぐ我に返ります。自分でもびっくりしました。そんなことを考えてしまったのが初めてで、どうしようもなく怖くなり、もっと涙が溢れました。
今思うと、病院に行くたびに、「何か重大な病気に罹っている」とお医者さんから言われないだろうか、という期待をしていました。
もうその時には仕事を始めると体調が悪くなり、椅子に座っていることもできない日もありました。仕方がないのでベッドにもたれかかってなんとかアポ取りの電話をしていました。
休みの日は元気に過ごしているのに、平日がやってくると途端に仕事ができない。皆んなはいやいやでも頑張って仕事しているのに、自分は何故かできない。
ホッとするはずの「何も異常はない」というお医者さんの言葉が、「何もなくて良かったね」という周りの人の優しい言葉が、「あなたが仕事ができない理由は、ただの弱さや甘え」という言葉に自動変換されて、どんどん心に突き刺さっているような感覚でした。どうしようもできなくて、もういっそのこと、ここからいなくなってしまいたいと思いました。もう、限界でした。
信号は赤から青に変わり、なんとか家の鍵を開け中に入りました。いつものデスクの前に腰掛け、業務を再開することをなんとか上司に報告しましたが、それから力が抜けたようにまた椅子に座っていられなくなりました。
私はデスクから離れ、会社が用意してくれている心の電話相談ができる番号にかけました。母から勧められてこの日の1週間前に一度かけてみていたのですが話している途中で疲れてしまったので、またかけますでそのままにしていたものです。
けれどその日は、もうここに電話するしかないと直感で思いました。
電話を取ってくれたのは男性のカウンセラーの方でした。そのカウンセラーの方に「もうあなたは、頑張るのは、無理なんじゃない?」と言われ、心療内科にかかることを勧められました。
前に書いたように、今まで精神系の病院に行くことは、頭の片隅にあっても実行はできませんでした。でも今思うと、この相談の番号に直感的にかけたのは「誰かから心の病院に行くことを許可してほしい」、という気持ちがあったからだったな、と今思います。
心療内科に行く前の日はすごく緊張しました。ここでも「異常なし」と言われれば、私は本当に「怠けているだけのやつ」になってしまう、そうなったとしてもきっと今までみたいに頑張ることはできない、頑張り方も分からない、そんな状態でこれまでと同じ仕事ができるだろうか。と、とにかく怖くて、頭の中がその恐怖でいっぱいでした。
適応障害の診断を受ける
緊張しながら向かった心療内科ではお医者さんに今の状態を聞いていただき、自分が今感じていることも全て伝えました。
母や上司からは休職ではなく薬を飲んだり仕事量を減らしながら仕事を続けることを勧められていたのでその話もお医者さんにしましたが、「このまま休まなければうつ病になってしまい、平日だけでなく休日も辛い状態になるようになってしまう」と言われて、休職をすることになりました。
頂いた診断書に書かれていた病名は「適応障害」でした。
以上が、自分の体に異変を感じてから適応障害と診断されるまでの出来事です。
今後、体に異変を感じ始めるまでのこと(主に仕事のこと)や、適応障害と診断されてから休職に入るまでのこと、休職に入ってからのことなども書いて行きたいと思います。
小さな経験談ですが、言葉にすることで誰かの何かの役に立ったり、自分自身の財産なることもあると信じているので、これからも続けて書いていきます。