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自然療法を信じてきたわたしが、標準治療を選択した理由〜後編

前編はこちら

アンチ抗がん剤派だったわたし

手術が終わって目覚めるその瞬間まで、私の卵巣の腫瘍は良性だと思っていた。

病院の入院中に、がんだったことを受け入れる過程で様々な記事や本、SNSや動画などで情報を得た。

入院中に主治医から「最終的な病理の結果が出るのは1ヶ月後だけど、抗がん剤はやったほうが良いと思っています。」と告げられると、胸がぎゅっとしめつけられて到底受け入れることができなかった。

医師の顔を見ても言葉が出てこなく、黙ってうなづくのが精一杯だった。

心の中で声がした。

「抗がん剤?まさか、わたしがそれをやるわけがない」と。

どのくらい世間の人が抗がん剤に対して知識を持っているのかはわからないけれど、少なくとも私自身は何も知らなかった。

ただ、「医者が絶対に選ばない治療NO1」とか、がん細胞を死滅させるだけでなく、免疫力に関わる健康な細胞の機能すら奪うとか、普通の人が聞いたら恐れ慄く言葉の数々。

未知の経験にはできるだけ多くの情報を得ること

入院中のベットで、まだ切ったばかりのお腹の傷の回復を優先するため、できるだけ明るい料理や旅系のYouTubeなどで紛らわせながらも、合間にたくさんのがん経験者の人や抗がん剤治療の情報を得た。

調べると、中高年だけでなく、AYA世代(19歳〜39歳)と呼ばれる比較的若い年齢層のがん経験者の情報を知ることができた。

さらに検索をしまくっていると、中には途中で更新がストップしている動画やブログなどに出くわし、締め付けられるような思いでそっと閉じることもあったけれど、がんを克服し元気で復活している人たちの経験談はとても勇気づけられ励まされた。

さらにその中で、「標準治療」という言葉を知った。

いわゆる、手術、抗がん剤、放射線、分子標的治療などの化学療法。

特に婦人科の場合、脱毛は免れない抗がん剤治療が一般的なのだけど、ウィッグやスカーフ、帽子などでおしゃれをしながらも前向きに治療している先人たち。

さらに、がんが見つかった段階で初期だったのにも関わらず、医師の標準治療を拒否し、自然療法などを選択して結果、がんが進行してしまった経験なども。

過去にメディアで有名な著名人のあの人もこの人も、亡くなった原因を調べていると、標準治療を拒否したという経緯があったことを知った。

わたしも当然知っているような有名な人たち。

まさか、テレビで見るニュースだけでは、そんな理由だと全く知る由もない。

スティーブジョブズも東洋思想の信者で、最初は初期の膵臓がんだったそうだけど、標準治療を拒否し、かなり進行した時には手遅れだったという。
その頃には治療を受けなかったことを後悔していると本人が言ったという。

夢中になって読んだおすすめの本

また入院中にkindleで夢中になって読んだ本があった。

この著者も最初、医師の提案を拒否し、自分なりに調べあげて民間療法などで何とか身体を治そうと試みるも、その間にがんが進行してしまうという実体験を綴る。

ただ、この後奇跡的な展開で、著者は全身にまわったがんが消滅し、寛解まで行き着くのだけれど。

その寛解に至るまでの道のりがすごくて、ヒプノセラピーや心理学を学んだわたしは夢中で読んだ。

結局全身に転移したがん細胞すらも、自らの潜在意識とトラウマの解消で解決してしまうドラマティックな展開は病気を経験していない人でも、人生を好転させるヒントになるため、読む価値のある本。

そうしてたくさんの情報を得るうちに、わたしは思った。

「わたしは、生きたいか?」

手術が終わって「悪性」だったこと、
広汎子宮全摘術による、子宮、卵巣、付随臓器に加えてリンパ郭清まで行い、術後の後遺症などについて説明があったことで、どこかで疲れ果て、一人でベットに横たわっていると、長く後遺症や治療で苦しむくらいならもう終えてもいいのでは、とすら感じる瞬間があった。

私には子供もいないし、親も高齢だし。
誰に迷惑をかけることもなく、治療で苦しまずに何もかも終えてもいい。
そんな風な考えがふと冷静によぎることもあった。
(その後すぐ、「親より先に死んではいけない」と、打ち消すのだけれど。)

だけど、発信をしている先人たちの中にはクリエイターやアーティスト、また経営者など、わたしと同じ分野で活躍している人もいて、その人たちがおそらく同じ経験をした人に何か少しでも安心や情報を与えることができたら、と発信している内容に、わたしも感じるものがあった。

この経験が糧になって何かの、誰かの役に立つかもしれない。

人生最大の逆境を経験した自分が伝えることがあるかもしれない。

だとしたら、これからわたしがどう生きたいか?

そんな風に考えるようになった。

わたしは、わたし自身を生きたい

抗がん剤治療は拒否したいと、入院中に夫に伝えると、「自分の身体だから自分で決めればいい」と言った。

でも、のちによく話してみると「治療をして欲しい」と切に思っていたという本当の気持ちを聞いた。

夫は両親ともにがんで亡くしている。

病気発覚から、退院、そして今日に至るまで、主人には経済面でも生活面でも多大な迷惑をかけることになり、申し訳ない気持ちとともに感謝の気持ちでしかない。

最終的に大きな病気になった時、全力で自分をサポートしてくれるのは家族の存在だ。

人生には誰でも色んなことが上手く行き、幸福を絵に描いたようなキラキラした収穫の季節というものがある。

そんな時期に出会った、自分の一番素敵でかっこいいところだけを知っている人たちとの時間がある一方で、病気になったら一番情けない、弱い、みっともない自分と対面することになる。

今回だってそう。
婦人科がんだったこともあり、わたしの自尊心というものは早い段階でとっくに崩壊した。

泣きたいのに涙が出ないような日々の中、どんなにみっともなくてもカッコ悪くても、全面的に責任をもって支えてくれたのは家族と夫だった。

また、同時に信頼する身近な人や友人たちがあたたかいメッセージをくれた。

がんだったことを伝えると、あるがまま受け入れてくれた人。
手術当日に励ましのLINEを送ってくれた人、入院中にお見舞いを送ってくれた人、「ゆっくり治してね」と電話をくれた人。

あったかい励ましのメッセージをくれた人。
ことあるごとに連絡をくれて、安心させてくれた人。

がんを経験してわかったこと

がんを経験して、わかったことがたくさんあった。

これまで、自分を過信していたことにも。

調べてみると、卵巣がんは、病気の原因として普段の食生活や健康習慣などはあまり関係がないらしい。

わたしは20代の頃から子宮内膜症があって、いつだったか最後の検診で左卵巣の小さな腫れも指摘されていた。

出産経験のないことや月経の回数が多いこと、女性ホルモンのバランスに加え、ストレスや冷えなどの要因が絡むとのことだった。

健康オタクの病院嫌いでも、婦人科だけは定期的に受診したほうがいい、と信頼する方に言われた。
それも今となっては遅かったのだけれども。

わたしは中途半端な健康おたくになったことと、どこにも所属しないフリーランスとして生きていたので、検診というものをいっさい受けていかなった。

病気に薬はいらない
病気は放置するもの

このような巷の民間療法を信じ、病気や身体の不調の声は、自分で聞けると思っていた。

本当はこんなに忙しくして、息をすることすら忘れているようだったのに。

抗がん剤の説明を受ける

退院して、1週間も経たないうちに、夫と一緒に主治医の面談で抗がん剤治療の説明を受けた。

丁寧に説明をしてくれた主治医は、最後の方で「初回の投与は念の為2泊3日の入院でやる人もいるんだけど、あさくらさんは通院で大丈夫だと思います。」と謎の太鼓判を押された。

その言葉はわたしを深いところで安心させてくれたのだけど。

そして同意書にサインをする段階で主治医に「ここまで治療してきてわたしは病院と先生を信頼しています。だけどわたしなりに調べて未だに気持ちのふんぎりがつかない部分もあります。同意書は次回来る時もでもいいですか?」と聞いた。

主治医は「大丈夫ですよ」と優しく言ってくれた。

一応、初回の日程を決め、NOならNOで連絡をするということで、お礼を言って診察室を出た。

民間療法的アドバイス

ここから数日の間に、民間療法に通じる人たちからは様々な声をかけてもらった。

抗がん剤は絶対やらないほうがいい。
抗がん剤で死ぬ人もいる。

こうゆう言葉を聞くごとに自分の判断が本当に正しいかと不安になる自分もいて、術後の傷も体力も徐々に回復していたにも関わらず、それらの言葉に混乱し、過敏性腸症候群のような症状になってしまった。

たぶん未知の抗がん剤治療へのストレスだったと思う。

身体のことを心配してかけてくれたそれらの言葉に感謝しつつも、その後わたしは自分で調べて、そして決めた。

現代の標準治療

標準治療というのは、現代の医療において世界中の治験や臨床結果から得られた様々なエビデンスに基づいた現在における安全性の高い最高の治療だということ。

標準というワードがつくけれど、松竹梅で言うなら、松のランク。

また抗がん剤も昔のイメージと違って、副作用に対する様々な対応がされ、人にもよるが辛さは軽減されているということ。

「アメリカでは抗がん剤は使用しない」、「医者は絶対に抗がん剤をやらない」など、ネットには根拠のないデマも氾濫し、正しい情報がわかりにくくなっていることなど。

また、現代では自身が罹患したら標準治療を選ぶと言う医療関係者がほとんどだということ。

つまり、「抗がん剤はやらないほうがいい」というのは、根拠もエビデンスもない、かなり古い意識なのかもとわたしなりに結論づけたのだ。

正解か不正解かというのは正直わからない。

だけど、自分の魂が本当に納得している選択をした。

何か行動を決める時の指針

わたしはこうゆうことを決める時、いつも自分の中にあるひとつの指針をもっている。

今決めようとしている行動の動機が不安や恐れをベースにしていることなのか、
それとも、自分のワクワクや三方良しをベースにしたものか。

「三方」は3つの対象・立場を表わす。「三方よし」とは、3つの異なる立場の人や組織(売り手、買い手、世間)がすべて「よし」(=満足している、利益を得ている)となっている状態を表した言葉。

行動の動機のベースが不安や恐れからのものだったら、徹底的にその感情をノートに書いて掘り起こす。

自分や周囲だけが良い一方で、誰かや偏った何か、もしくはセグメントに過度な負荷がかかっていたり、不幸を生み出したりしていないか。

そういう状況は最初は上手くいっても、必ずどこかで決壊した川ような状況を後に生み出すことになる。

※以前、神田昌典さんの「成功者の告白」という本を読んだ時に、自分が漠然とやってきたこのことに対して、答え合わせのような確信を得たことがあった。

* * * 

医学は進化し、3年前と今とでも、違う部分もある。

確かに病気にならずにやらない選択をできればそれに越したことはない。

だけれども、がんに罹患し手術をし、臓器を取ってしまった以上、それを受け入れて生きることを考えたら、わたしの気持ちは固まっていた。

それから夫に、「抗がん剤治療を受けようと思う」と言うまでにはそんなに時間がかからなかった。

決まっていた初回投与の7/12にサインした同意書を持参し、主治医にお願いしますと言って診察を受けた。

今日はここまで。
抗がん剤治療の様子はまたレポートします。

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アサクラ トモコ
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