星野源『そして生活はつづく』を読んで―創作の原動力
創作ができること、内面にあるものを魅力的にアウトプットできることに憧れる。
日々更新されるnoteの記事数だけを見ても、世の中にはアウトプットをしている人がごまんといるわけだが、
私は他の人が「なぜアウトプットしたいのか」という理由にも興味がある。
例えば星野源さん。
音楽家、俳優、物書き、ラジオのパーソナリティなど複数分野で活躍されているイメージだが、彼が創る側になったのは「虚無感から逃れるため」だったという。
華やかに活躍されているように見える源さん、どういうことですか?!
雑誌に連載していたエッセイと書き下ろしを加えた星野源著『そして生活はつづく』を読んだので、その感想・レビューを簡単に書き記しておく。
源さんってどんな人?
まず私が持つ源さんへの個人的な印象。
繊細で、傷つきやすいからこそ想像力があり、それ故に他者への配慮ができる優しい方なんだろうなと思っている。
孤独を感じやすそうなところ(個人の主観です)も勝手に親近感を抱いている。
ちょっと、いや、かなり下ネタが多いのかもしれないけど、そこはまぁオープンすぎていっそのこと清々しいしなぜか下品さを感じない。
好きに話しているように見えて、たぶん受け取る側の気持ちにもたくさん配慮をしているからだと思う。
おもしろくもない生活をおもしろく
本作のテーマは、おもしろくもない生活をおもしろく解釈することだ、と書いてある。
「面白き こともなき世を 面白く」ってなんだっけ…と思い調べたら、幕末藩士・高杉晋作の辞世の句だった。※超脱線
公共料金の支払いができない話から始まり、お腹弱い族としてやらかしてしまった、ここに書けないようなあれこれの逸話など、
ここまでさらけ出して本当に大丈夫ですか?と心配になるくらいさらけ出している。
(自分もお腹弱い族なので仲良くなりたい)
冒頭に書いた、彼が表現する側になった動機の話が特に心に残った。
友達ともうまく接することができない、女の子とも話せない、劣等感強めの小学校時代を過ごした彼は、マンガや映画などの世界に夢中になる間なら、つきまとう虚無感から逃れられた。
だから現実から逃れるために、世界を作る側になったという。
それでも、仕事を終えて家に帰ってひとりになると虚無感がやってくる。
だから仕事の予定を入れまくって少しでも虚しさから逃れようとした。
そんなある日、がむしゃらに働きすぎて過労で倒れてしまう。
そこでのお母さんとの会話はこうだ。
掃除や洗濯、公共料金を支払う、ご飯を作る、食べる、ゴミを出す、ゴミ袋をごみ箱にセットする、などの、ささやかな「家のこと」。
これらに向き合う=生活すること。
人間なら誰しも、たとえ表向きにはどんなに華やかな人にだって、家に帰れば日々の生活がある。
ちゃんとした生活をすることが苦手だと明かす源さんだが、現実のほうの自分(生活)を置き去りにしたままでは、作り上げた方の世界も結局置き去りになってしまうことに気付いたそうだ。
現実の自分の生活を大切にすることは、源さんにとって小学生の頃の自分を大切にすることに繋がるのかもしれない。
だからおもしろくもない生活をおもしろく解釈するという本作のテーマからは、言い換えれば劣等感や虚無感を抱えがちだった過去の自分自身を受け入れる、という思いも読み取れるように感じた。
自分はなぜアウトプットしたいのか
冒頭に戻るが、源さんに触発されて(?)自分はなぜアウトプットしたいのか、noteに書きたいのか考えた。
マンガや小説を読むのが大好きで、これまでの人生でたくさん救われてきた。
登場人物と一緒に嬉しくなったり、悲しくなったり、泣いたり、感動したりする時には、人間関係の悩みも、仕事であったしんどい出来事も考えなくて済んだのだ。
一人でもいいから、誰かの心が動くようなものを生み出したい。
日々の中で、なんだかしんどい、つらいなぁという思いをしている人がいたら、そっと寄り添うような世界を作って、一瞬でも辛さを忘れられるきっかけを作ることができたら。
こんなに嬉しいことはない。
そしてそれは、回りまわって過去の自分自身を救うことにも繋がっていくのかもしれない。
最後自分の話になってしまったが、このエッセイを読んで笑って、ちょっとしんみりして、元気をもらえた。
これからも応援しています!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?