人はわがまま💐神社めぐり
神社めぐりしていると人ってわがままだなと思うことがあります。
====以下、半分以上私の妄想です====
その1 お伊勢参り
江戸時代にお伊勢参りが流行った。60年に一度のペースでは一大ブームも起きていたらしい。
江戸からお伊勢参りすると少なくとも1か月以上、長い人だと3か月ほど掛かった。当然、お金もかなりかかる。
流行っていたけど、いまでいえば世界一周を船旅するくらいの感じだったかもしれない。
お伊勢参りしたあとの禊参りとして参拝していた『東国三社』(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)。
この東国三社を巡ると伊勢神宮に行ったのと同じ効果があるとなった。
江戸から伊勢より、江戸から鹿島の方がずっと近い。
ただ、東京から鹿島も十二分に遠い。
もっと楽にお伊勢参りと同じ効果を得ようと、「天照大御神」「豊受大神」を御祭神とした東京大神宮を明治時代に日比谷(関東大震災以降は飯田橋)につくった。
その2 武蔵国一之宮
武蔵国は現在の、埼玉県+東京都(島しょを除く)+川崎市+横浜市とほぼイコールです。
現代なら日本をつくる一大地帯。
武蔵国ができたころは現代の府中市あたりが武蔵国の中心部で、ここに国府を置いた。
そして、武蔵国にある大きな神社から均等になるように一之宮から六之宮まで置いた。
一之宮は6宮のうち、府中から近い多摩市にある小野神社とし、一之宮と二之宮は多摩地方、三之宮から五之宮は埼玉県、六之宮を横浜市に置いた。大宮にある氷川神社は三之宮だった。
ただ、埼玉+東京+横浜+川崎の広さがある武蔵国は広い。一宮から六宮まで全部参拝するのに、何週間も要した。
そこで、中心部である府中に大國魂神社を建てる。
そして、大國魂神社で参拝すれば一之宮から六之宮まですべて参拝したのと同じ効果があるよ…とした。
時が経ち、川越藩が武蔵国のなかでは一大勢力になった。
権力も府中から川越に移る。
権力があっても昔の人は神社へのお参りは欠かせない。
一之宮は現在の多摩市…「八王子や府中ならともかく、多摩市ってそもそもどの辺かもわからないよ。武蔵国の一ノ宮は川越から一番行きやすい大宮の氷川神社にしよう。三之宮から一之宮に昇格だ!」と言ったかどうかはわからないけど、勝手に氷川神社を武蔵国一之宮に変えてしまう。
終わりに
神社仏閣巡り…歴史をたどっていく、それもいくつかの歴史をみると矛盾している点があったりする。
特に長い歴史があり、千年以上の昔からは一般市民レベルで文字文化があり、それぞれ自分勝手に文章を書いていた日本では矛盾点が多い。
その矛盾点を妄想レベルでもひとつの線にすると日本の歴史や風土がもっと楽しめると思います💐
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