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今日も読んで考えて少しだけアウトプット
今日は午前中オンラインでの研修だった。まあまあ重いテーマの研修だ。
午後は外に出ようと思っていたのだけど、外に出るのが億劫になってしまった。読みたい本が溜まっているし。。。
アップルウォッチの回らないムーブリングと睨めっこする。
回らない日が一日くらいあっても大丈夫。いやいや、それにしても回らなすぎではないかとしばし葛藤する。
とりあえず、昨日から読み始めた本を読んでから考えよう。
自分じゃない「あの子」がうらやましい。そんな気持ちは、自分だけの中にあり、決して「あの子」は気づかない。
だけど実は、「あの子」はわたしがうらやましいと思っている。
誰もが自分の目を通して世界を見ていて、それは「現実」なのだけど、他の人の目から見た「現実」とは少し違っているものだ。どちらも「現実」なのだけど、捉え方が違うのだ。
小説では、それぞれの「目」からの物語が語られ並べられるので、俯瞰して世界を眺めることができる。
現実世界では、もっと痛い思いをして、ガンガンゴンゴンぶつかって、やっとたどり着く境地なのかもしれない。
この物語では16年の時を経て、その間いろいろあっただろう時間の中で、自分は自分でしかないという現実に折り合いをつけていく。
エモいなと思いながら読了。
重い腰をあげてエイっと散歩に出かけた。一旦出てしまえば、まあまあ歩けるものだ。ムーブリングをくるっと回すためだけに、くるっと隣の駅まで歩きまわる。
帰宅後にもう一冊。「根っからの悪人っているの?」
被害と加害のあいだ
対話
居場所
常に周回しているテーマ。人生のテーマだとは思いつつ、怖くて近づいたり離れたりしているテーマたちが盛り込まれた一冊なのに、買ってすぐには開けなかった。
今日一番惹かれたのは「サンクチュアリ」
「心から安全だと感じられて、安心して本音が話せる場所」
心から欲していて、それを創り出すこと、創り上げることが、したいことだと思っている。本を読んだり映画を観たり、「思う」ことは簡単だ。
でも、ものすごく怖いとも感じている。何が怖いのか?
わたしにはできない、ないと思っている。
サンクチュアリはユートピアではない。物理的な環境だけを指すものでもない。
ただ「聴いてもらえる」「話ができる」その「場」つまり、「対話」の可能性を信じていないわけじゃない。
実際に、自分が救われる「場」を何度も体験しているし、自分がその「場」になれたことだって少しはある。
その時、何を感じたか。心からの安心。ホッとする。涙が出ることもある。この「感じ」を思い出せるように、その光を広げていかれるように、この温かさを信じられるように、そう願ってもいい。
それが、「で、明日何するの?」に直結していなくても、「そういう人」として生きているだけでいい。