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停留所は家族劇場
年末年始やお盆になると、不思議と旅に出たくなる。運賃は跳ね上がり、ホテルは特別料金。どこに行っても人の波が押し寄せる。それでもわたしは、乗り換えを案内するアプリを開いてしまう。
人々が古里へ帰るこの時期にしか見られない光景に出会えるからだ。わたしの実家は近すぎて「帰省」と呼ぶには気恥ずかしい。だからこそ、遠くへ帰る人の姿は、どこかまぶしい憧れでもある。
中でも、都市間バスでの移動は、人生の断片を切り取った短編映画を見ているよう。停留所に着くたび、次々に新しいシーンが繰り広げられる。笑顔で駆け寄る家族。手作りのプラカードを掲げる子どもたち。寒さで真っ赤な鼻をすすりながら身を寄せ合う老夫婦…。
長崎から熊本へ。今治から福山へ。旭川から北見枝幸へ。
まちとまちを結ぶバスの窓から、幾度となく目にしてきた。
「ただいま」
「お帰り」
バスの扉が開くたび、言葉が重なり合う。待ち人を迎える人々の表情がぱっと明るくなる。その目には、期待と少しの緊張、確かな喜びが浮かんでいるように見える。
降り立つ乗客の表情はたいてい見えない。
長旅の疲れを帯びた面持ちから、懐かしさと安どに満ちた表情へ変わっているに違いない。「おなかすいてない?」。聞こえてくる母親らしき人の声が、車内の冷えた空気をそっと温めていく。
停留所を舞台に、家族の再会という一幕物が次々と上演されていくような感覚。窓越しに眺めるだけで心が躍る。遠い場所から帰ってきた人を、笑顔で迎える。それは、日常にひそむ幸せの一つなのかもしれない。
ときどき考える。もし実家が遠方にあったら、同じように帰省を選んでいただろうか。満員電車のような混雑の中、大きなキャリーケースと格闘しながら、古里を目指すだろうか。答えは、きっとイエス。実家には"特別"な日常があるからだ。
実家の玄関を開ける瞬間に感じる独特の緊張感。台所から漂うみそ汁の香り。座り慣れた食卓の椅子。テレビの音量も、家族の会話も、いつもより大きめになる。正直、何かと面倒なことは多い。でも、そんな日常のかけらに触れたくて、誰もが帰るのかもしれない。
「ただいま」と「お帰り」が織りなすぬくもり。そんな瞬間に立ち会うたび、旅に出てよかったと実感する。
停留所で待つ家族たちには、決して打ち明けられない。「実は、みなさんの再会シーンに出会うために、旅しています」なんて。そんなことを言えば、きっと不思議がられてしまうだろう。でも、そんな秘密を抱えながらの旅こそが、わたしにとってのささやかな冒険なのだ。
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