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直すということ

 キッチンばさみの持ち手が、割れてしまった。100円ショップでも新品が買える時代。買い替えようか――。そんな考えが頭をよぎったが、一緒に歩んできた道のりを思えば、簡単には捨てられない。インターネットで補修材を探し、注文した。

 ものを直すことが、自分にとって当たり前の選択になっている。時には専門の業者にゆだねることもあるけれど、まずは自分の手で直してみる。そうすることで、自分のものになっていく感覚がある。

 はさみは、勤めていた会社の周年記念で社員に配られたものだった。高いものではなかったはずだ。

 それでも、使っているうちに手になじんでいた。野菜や肉を切り、缶詰を開け、栓を抜き、開けにくい包装の開封にと便利に使っていた。

 使えなくなって、ありがたみが身に染みた。毎日の食事を支えてきたはさみには、誰にも語ることのない自分だけの物語が宿っている。そう思うと、どんな新品よりも大切な存在に思えた。

 ところが、人との関係となると、途端に臆病になってしまう自分がいる。穏やかな日々が続くうちは表面的な付き合いで済ませ、ひとたび衝突が起きると、心の奥にある本音を伝えることから逃げ出してしまう。

 ものは直すのに、人との関係では、体裁を取り繕い、言いづらいことから目をそらしてきた。仕事上では何とかこなせても、私生活では見事なまでの落第生だ。

 人の心は、割れた持ち手よりもずっと繊細で、何度でも傷つき、壊れてしまう。

 そのたびに、わたしは立ち止まって考える。

 この関係を諦めて逃げ出すか、それとも勇気を持って向き合い、丁寧に修復していくか。

 これまでの自分は、残念ながら前者を選びがちだった。言葉にすれば恥ずかしく、伝えれば相手を傷つけるかもしれない。そんな不安が頭をよぎり、結局は何も言わないまま、言えないまま、関係は薄れていってしまった。

 人との関わりもまた、同じはずなのに。はさみを修理しながら、ふと考える。「あの時は辛かったけれど、ともに乗り越えてきた」。そんな思い出が多いほど、関係は確かな深みを増していくのだろう。

 ものは使えば使うほど擦り切れてしまうけど、人との付き合いは、付かず離れずという馴れ合いこそ、危険なのかもしれない。

 修理を終えたはさみを、そっと開け閉めしてみる。またしばらくは使えそうだ。良かった。

 壊れることを恐れず、時には相手とぶつかることもいとわない。そんな関係を築ける人が、一人でも二人でもいれば、人生はより豊かな色合いを帯びていくんだろうな、なんて今更ながらに思う。

 ものは大切にできるのに、人との関係では逃げ出してばかり。

 道具を片付けながら、小さく決意してみる。これからは少しずつでも、勇気を持って向き合っていこう。

 不器用でも、一歩ずつ丁寧に。大切なものを直すように。

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はなふさふみ
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