星降る夜の記憶
夜の道央道。旭川からの帰り道。岩見沢ICを過ぎた辺りで空が開けてくると、決まって心に浮かぶ曲がある。山下久美子の「Tonight(星の降る夜に)」。リアルタイムで聴いた記憶はないのに、つい口ずさんでしまう。
遠くに見える街明かりは、こぼれ落ちた星たちが地上で息づいているかのよう。光とメロディが重なり、不思議とあの頃の記憶を呼び覚ます。
子どもにとって無機質な時間が終わり、家路につく車の中。わたしは助手席に座っている。後部座席には母。パチンコに費やした時間と金をめぐる、いつもの口論が車内に満ちている。
小学生だったわたしは、寝たふりという仮面を付けることを覚えた。声をかけられても、深い眠りの淵に沈んだように、ただそこに在るだけの存在になる。まぶたの向こうで、街灯の光が流れ星のように通り過ぎていくのを感じながら。
母の言葉に反応するように、父はハンドルを強く握り、車が揺れる。大人たちの言葉の嵐に巻き込まれたくない思いと、演技という小さなうそへの後ろめたさの間で心は揺れた。
暗闇を泳ぐように進む車の中、どこかで感じる感覚として残っている。
時は流れ、大学生になったわたしが、信頼する大人から授かった「うそも方便」という言葉が、長年、心の奥底で凍えていた何かを解かしていった。単なる逃げ道ではない、必要な守りだったのだと。
うそは時として、傷つく心を守る羽根のような優しさになる。この小さな知恵は、星降る夜に願いを込めたあの曲のように、かけがえのない宝物として、今のわたしを形作っている。
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