何かを得たいわけではない
大人たちと対話をすると、こぞって皆何かを成し遂げようとか、何かになろうとか、どこかに属そうとか、いわゆるマジョリティー(一般)に馴染もうとかね、
バカでも分かるような(口が悪いね)人生の構図しか見えていなかったりする。
そんな次元で生きてないですよ、我々子供たちは(私自身を含む)。
私たちは、生きている中で人生の選択をいくつもするわけだけど、その時に大事にするのは実は余計なもんはいらなくて、「直感」だけで十分。混じりっけのない我が直感こそが全ての根源であり、最初から最後までそこしかない、と言っても過言では無い。
頭がカチカチで洗脳され切った脳は、分かりやすい目に見えるものしか信じられなかったり、それを手に入れて安心したりしよるわけやけど、、
それマボロシやけど?
分かってます?
あくまで社会が作った幻を手に入れた気になり安堵しているに過ぎず、その幻の基準は社会にあって「我」にないわけだから、そりゃそのうちもろい魔法は解けて、「我」がそこにないことに慌てふためく、という流れが想定内だったりする。
私たちは結果幸せになることを目的として生きているよ?
何かを得ることではないし、
既にある何か(のよう)になることでもないし、
ただそのままの自分を知り感じて好きな人にそれを知ってもらうことだけで、人は十分にその平穏を掴むことが出来る。マジョリティーを生きるよりもよっぽど簡単なことなのに、人は難しい方へ進もうとする。
それは何故なら、
みんながそうしてるから。
じゃあ、あなたはみんなのために生きているんですか?
そんな人がいるなら連絡してきて欲しい。
よっぽど自我を受け入れ役目として人に奉仕することを命懸けでやっている人だっていますけど、そう言う方も結局は自分がその生き方をすることにより自分が救われるからに過ぎないよね。(結果自分に生きてるってこと)
人間は所詮人間。
神ではないので、人間らしくキャパの狭い範囲で生きればよろしーがな^ ^
あがらわらはなえにあなたの勇気をチョイだけ分けてください♡