義務教育が無くなる時代へ
ウンベラータを剪定して、、
いい感じに新芽が生えてきました(後ろ!)
今からレッスンをやりまっせーなショットです。
今日は不登校の中2の子のレッスンでした。
やはり1週間に一回会ってるとその子が安定するらしく、私が休みを取るとママがウカウカしてられないみたいです。
ある意味私との時間の意味があるんだなぁと分かることでもあるし、別の意味でメンター的存在の私がいなくとも安定することを目標にしたいという気持ちが出てきます。もちろんいつかはこの子も自立していきますが、それまでにもう少し時間があるのなら、この子の中にあるエネルギーというのか、本来持っている素晴らしいハートをしっかり芽生えさせて、ありのままに自分を見た時に、あぁ自分ってなんて愛らしくて可愛いやつだと気づくだろうと思うんです。
この親子と向き合うようになって半年ほどが過ぎました。お母さんとも一回電話をすれば3時間ほど話し込みます。最初の頃と比べるとまったくトーンが変わってきたお母さん。最初の頃は、私はこうしてるあぁしてる!っていう自分ベースの考え方もけっこうつよくでていました。自分がやってることを主張したいし、間違っていないと思いたいのは、きっと誰だって同じですよね。
ただ息子と折り合いが付かず、壁に穴が開いた頃に私とのレッスンが始まりました(苦笑)
壁を殴りたくもなるわなぁ、、って感じで、笑
女の子ですら物に当たりたくなる憤りがあるというのに、13、14の多感な時期はなおのこと。壁を殴って母殴らず。って冗談じゃないけど、まだマシな方じゃないかなと。
あの頃からすると半年で変わったことは、やっぱりお母さんの様子です。前からちゃんと頑張ってる面もありましたが、頑張る方向性が定まってきた様子でした。自分でもおっしゃっているのは、「この子に寄り添うってことで自分も落ち着いてきました。。。」
周りの意見は様々だったそうです(もしかしたら今もそうかもしれません)。私は自分の意見がどれほど日本の常識(一般論)と違うかは、現在日本にいないのでそこまで分からないのですが、お母さん曰く、私は海外らしい考え、なんだそう。そしてその考えが一番息子に合っているとこの半年で(実際悩み戦ってきたのはここ一年とおっしゃっていました)気付いたということでした。
私が考えるのは、もちろんそのお子さんによって、年齢や性格も関係しているし、しばらく時を過ぎるのを観察して、本当にその子が安定したり楽しくいる場面、どこまで頑張れて、どこからが無理の範囲になるのか、本来の義務教育のスタイル自体が合うのか合わないのか、合わない場合は何をどんな分にしていることがその子のハートが喜ぶのか。
いろんな角度から考察した後に、親子の努力の日々の中に浮き上がってくるものが全ての答えと言いますか、その時点でのしっくりくる道なんだと思います。正解や不正解はないので、ただ自分がハッピーかどうか?うちらにあう生き方なのか?だけなんだと思います。
それはどの育児においても言えることじゃないでしょうか。その子の本質に寄り添い環境を選ぶ。理想としている環境が手に入らないこともあります。だけどそれでも諦めず探したり作り出したりすることで、子供たちの笑顔は戻ってくるんだろう、と。
うちの6歳の息子も少し前に学校が嫌だと言った時がありました。国語と算数が簡単過ぎて、もっとチャレンジをしたいのに、欲しいものを与えてもらえないことに、かなり感情的に悲しみと怒りを抱いていました。他にももっと科学の実験をしたいとか、自分のやったリサーチを発表したいとか、割と自発的に動きたい彼の性格だと、簡単な言われたことをこなす、ような作業は向いていないんですよね。ある程度学校側もそれには気づいてくれてはいたのですが、受験時期ということもあり、ある程度型にはまったプロセスを踏む必要があったようですし、大人びて主張が強く調子に乗りやすい態度もまた要因の一つだったと思いますし。。(今学期はすっかり楽しく学校に通うようになっています)
親は子の性質に寄り添い、時には学校に合わないなど大変かもしれないけれど、こんな長い人生の中で、これだけ多くの人が生きるこの世界で、みんながみんな同じ道を歩ける方がおかしなもんで。。(本心は大して学校に行きたくないけど行ってるという子だって多くいるはずですから。結婚してる人がみんな幸せではないように、学校に通っているからと言って、それだけで上辺的には親は安心するかもしれないけれど、それは実はその子の我慢あってのことだと気づいてなかったらどうでしょう?先延ばしにして、置いてけぼりになった自分らしさは、長い時間をかけて恨みつらみのようなものを含み、見えないところで巨大化するはずです。
そんなパンパンに肥えた不満が爆発することで、鬱だったり他の精神疾患を生むことも大いに考えられます。これは大人だって同じことです。だから引きこもったり、不登校も大事な自己主張だと私は考えます。ちゃんと主張してるから実は大丈夫だって。
他の子と同じことが出来ない、、と最初は親ならショックを受けるかもしれないけれど、、毎日毎日我が子と向き合い、その子だけに集中して、周りのノイズが聞こえなくなった頃に、本当にその子の声だけが聞こえてくるようになる。
あぁそっか、、
あなたはそんな個性を持って生まれてきたし、これからもそうして生きていきたいんだね、って。
別によーいどん!ってスタートしたわけでもなく、何かのトラックを走らされてるわけでもなく、ただ私たちは同じ星に生きてるだけだから、もっと広い視野で見た時、今の時点で学校に行くか行かないか、は、もしかしたら固執するに足らない、先に生きた人類が作った架空の常識なんじゃないの?と気づくわけです。
先人が作った常識が全て正しいのか?
そんなことは全くない。
何故なら時代は時と共に変わり行き、
形を変えて巡っていくものだから。
今ある常識は100年後は歴史にしかなっていない。
義務教育なんていう制度があった時代、という日が私はくると思う。
人材として働かせることで産業や経済を回す時代から、今歴史に刻まれるような新しい価値観の時代に少しずつ変わってきていることに、きっと多くの人が感づいているはず。
教育が先にあるんじゃない、
個性に教育を合わせればいい。
Honey xx
あがらわらはなえにあなたの勇気をチョイだけ分けてください♡