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米澤穂信『ボトルネック』~容赦ない存在の否定の先にあるのは~

   祝!    投稿記事5つ目。

    自己紹介で「アタクシ忙しいからここに来るのは週一程度ね」とか言ってたわりに、まあまあ長文の記事5日連続であげてませんかね……と突っ込みがあるかもしれませんが、この5つ、ある程度書きためておいたうえでの放出でした。

    どうしてわざわざそんなことしたのかというとですね。

    なんでもnoteでは、5日連続投稿すると、バッジが貰えるそうじゃないですか。

    だからです。

    さて、今回は「読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?」というnoteの補助線にしたがって、とある書籍について書こうと思います。

    米澤穂信の小説、『ボトルネック』。
    これ、読んだのはかなり前なのですが、胸をえぐられた記憶のある特別な作品なのでとりあげます。

    金沢が舞台のお話なんですが、私、ボトルネックの街を見ようとかいって、当時住んでいた京都からわざわざ金沢まで1人で行きましたからね(暇人……)。
    有名観光地に行ったにも関わらず、兼六園にも寄らずにイオンの駐車場とか見て帰りました。あ、東尋坊は寄ったな。作中に出てきたから。
    作者が実際に金沢に住んでいたからでしょうけど、かなり生活感溢れる金沢の細かい描写があるんです。「不気味なほど駐車場の広いジャスコ」とか書かれてるんですが……実際、なんだこれはってくらい駐車場広かったです。

1.あらすじは

    米澤穂信というと、アニメ化した『氷菓』をご存じの方が多いかな。『ボトルネック』も氷菓に近いものがあって、日常のなかにあるささいな謎を解いていく、いわゆる日常系ミステリー。
    ただ、この作品、他に大きな特徴があって、『パラレルワールドもの』なのです。

    あらすじを簡単にまとめると、

    主人公の嵯峨野リョウは、事故死した恋人のノゾミを弔うため、東尋坊に来ていたところ、不思議な眩暈に襲われ崖から転落する。
    目が覚めるとそこは、流産で生まれてこなかったはずのリョウの姉・サキが、自分の代わりに嵯峨野家の子として存在する世界だった。
    頼る者もいないまま、サキと行動を共にするリョウだったが、今いる世界と元の世界の間には、存在するのが自分かサキかという点以外にも、大きな違いがいくつか存在することに気づいていく。なぜ、それらの違いは生まれたのか。その理由をひとつずつ追っていくうち、リョウはある1つの結論に達する。

    こんな感じ。文体はどちらかというとポップて読みやすい。冷めた性格のリョウと、快活で調子のいいサキの掛け合いも楽しいし、謎解きのくだりは、並べられた論理の整列が綺麗で読む快感がある。一見、とっつきやすい作品なのですが……

   ……しかしこの作品、とんでもない猛毒をもっていました。

2.自分のいる世界といない世界の比較

!!ここから先ネタバレ注意!!

    もし、自分が生まれた世界と、自分が生まれなかった世界、二つを比較出来たとしたら、どうしますか?

    比較して、そこに明らかな優劣があったら??

    実はこれ、そういう話なのです。

    嵯峨野家に生まれたのがリョウではなくサだったなら、

    嵯峨野家は家庭崩壊しておらず、
    優しかったうどん屋の店主は寝たきりにならず、
    そしてノゾミも、死なずにすんだ。

    ……そういう話なのです。

   リョウは生来の性分か、恵まれない家庭環境がそうさせたのか、あらゆることを「仕方がない」といって受け入れることを繰り返して生きてきました。対照的に、パラレルワールドでリョウの代わりに生まれたサキは、聡明で機転がきき、明るく何事にも積極的な性格。
    そんなサキは、リョウが諦め、受容するだけだった場面場面で、分析し、予測し(作中の言葉でいうなら「想像力をはたらかせ」)、それに対応した行動をとってきたのです。ただ偶然で良い結果になったケースもあるけれど、そういうのもひっくるめて、サキは、リョウの世界では不幸な結末を迎えた人たちをことごとく良い方向へ導いていました。
    そのことを、パラレルワールドを巡るなかで、じわじわと思い知らされるリョウ。

    個性なんて言葉では誤魔化しきれない、客観的事実の比較で浮かびあがる明確な優劣。

    リョウが思い知らされたのは、それだけではありません。

    リョウとノゾミは、崩壊した家庭に育った孤独を抱えた者同士、お互いだけを理解者として寄り添い、そうして育んだ感情は、恋といっても良かった……と、リョウは思ってた。

   優劣という基準を持ち込むことのできない、リョウとノゾミの絆。
    それすらも、サキの世界はただの欺瞞だったことを見破ります。

    リョウが恋したノゾミは、ただ自己を確立出来ず苦しんでいたノゾミが便宜的に真似たリョウの姿だった。つまり、リョウが恋と認識していたのは、ただの自己愛だったのだ、と。

    なんて 非人道的な話なのでしょうか!
    ……なんだってリョウは、こんな目に合わないといけないのでしょうか(泣)

    私、小説にいちいちテーマとか伝えたいこととかを求める姿勢はあまり好きではないんです。エンタメとして優れていれば、別に学びがなくても作品としての価値は十分だと思います。

      ただ、この『ボトルネック』に関しては、何の目的もなしにこんっなひどい話書かないでくださいよ、というくらい容赦なさ甚だしい。
    実際、伝えたいテーマを、作者が明確に込めている作品だと思います。そしてそれは、この書き方でしかあらわせなかったのだろうと。では、その伝えたいテーマとはなんなのかを、次項で考えていきます。

3.容赦なさの必要性

     「ひどい話」と書きましたが、なぜ私はこの話をひどいと感じたのでしょうか。
    それは、「存在を否定される」という罰が、リョウにくだされるにはあまりに重すぎて、不当だと感じるからです。
    リョウがしてきたこと、それは、「苦しい現実を仕方がないと諦め生きてきたこと」と、「自己愛を恋と誤認したこと」。

    でもこれって、あまりに普遍的じゃないですか。リョウ、書くの忘れてましたが高校一年生なんですよ。
    高一の子どもですよ。

    親からネグレクトされ続けたら、これ以上傷つかなくてすむようにスルースキルを磨くしかないし、それにこの歳の「恋」なんて未熟で当然なんですよ。

    確かにサキと比べ、能力的に劣ってはいるかもしれませんが、そもそもサキなんて、人間力と愛嬌がプラスされて完全体になったシャーロック・ホームズのようなものなので、かなう人なんていません。

    リョウはごく普通の、どこにでもいる少年でした。

    ――『ボトルネック』の読者のなかにも、たくさんいるような。

    私が思うに、作者はリョウという存在をとおして、
「自分にとって辛い現実に立ち向かうことをは暑苦しいと敬遠し(失敗するかもしれないしね)、涼しい顔してスルーすることで辛うじてプライドを保ち大人なった気分になって、かつ自己愛や自己憐憫に陶酔することで世の中の真理を知った気になっている」ごく普通の人の、横っ面を張り飛ばしてるんじゃないかな、と。

    少々キツ目のビンタの後に待っているのは、謎かけのような不思議な会話と、切って落とすようなラストシーン。
    頬を抑えて倒れこむ読者を、作者は最後まで甘やかしてはくれません。
    さあ、次はラストです。

4.否定の先にあるのは

   「もう、生きていたくない」という絶望をお土産に、元の世界に戻されたリョウ。そんな彼に、ツユ(リョウの世界のサキ)は、「イチョウを思い出して」※という言葉を投げかけます。
※(市から多額の金額を提示されても、思い出のイチョウの木を伐ることを拒んだ老婆に対して、「死んじゃえ」とノゾミが呟いたというエピソードがあります)

    これがどんな意味を持つかについてはみんな色々考えているらしく、『ボトルネック』と検索エンジンに打つと、『イチョウを思い出して』がセットになった検索候補が勝手に出てくるほどです。見てると、色々意見があるようなんですが……。

    私は、数々の謎に対し分かりやすい解説つきで解を提示してきたこの作品が、難解な謎を思わせぶりにただ放り出すだけ、なんてことするはずないと思うんですよ。実際、このツユの言葉のすぐ後に、かなり分かりやすくヒントが提示されています。

・パラレルワールドをリョウに経験させたのはおそらくノゾミ
・ノゾミは「ノゾミが欲しいものを、与えられてるのに拒否する人物」を憎む。
・リョウはその「ノゾミが欲しいもの」を、2年間蔑ろにしてきたし、蔑ろにし始めたのはもっと前、生まれてからずっと。
・ノゾミが事故死したのは2年前。

    素直に、「欲しいもの」とは「生きていること」としていいと思う。
    「イチョウを思い出して!」というツユの言葉は、「ノゾミは、リョウが生きようとしないことを許せないと感じていることに気づいて」では?

    作中でそう明言しないのは、「答えは人それぞれだから」とかではなくて、単に、そんなことまで明言するのは作品として無粋だから、じゃないのかな。

    賛否あるでしょうが、とりあえずはこれを解として進めさせてください。

    少しひねくれてはいますが、ツユとノゾミという2人の死者からの、「生きて」というメッセージ。

    しかし、それをすんなり飲み込むには、リョウの絶望は深すぎて、リョウは一人東尋坊の淵に佇みます。このまま身を投げて全てを終わらせるか、引き返してこの否定された人生を続けるか。決める気力すらなく、もう誰かに決めて欲しいと思いながら動けずにいる。

    そこに届く、リョウをネグレクトし続けてきた、母親からの一通のメール。

「もう帰ってきてくれなくて構いません。」

    リョウはそれを見て、

   少し笑って、

    物語は終わります。

    えっそこで終わり!?    という終わり方。

    リョウは結局どうなったの!?

    こればっかりは、読者それぞれが答えを出すしかないようです。

    母親からのメールは、生と死二択の間で揺れるリョウに死へ後押しするような内容なので、この終わり方では、メールが決定打となって死を選んだ、とみるのが素直な見方ですが……。
    私は、リョウは、生きてくれるとみることも十分できると思います。思い直せという制止を振り切って死んでしまったり、「死ね」と言われてかえって生きてやろうと思うのが人間だから。

    かなり願望が入った見方かもしれませんが、リョウは生きてくれる。そう願ってやみません。

5.最後に

    頑張って内容を纏めたんですが、それでもここに書ききれなかった重要な要素が、この作品はいくつかあります。リョウと、リョウの兄・ハジメの関係とか……。それに、私の私見だらけの記事なので、ぜひ自分自身で読んで、自分の正解を見つけて欲しい。
    『ボトルネック』、本当に名作ですよ。

    また、『ボトルネック』に少し似ている作品として、藤野千夜の『ルート225』をあげておきます。パラレルワールドもの、軽やかな文体、メインキャラが姉弟というところ、そしてシビアなテーマという点でよく似ている。謎解きはないけど。この作品も、いつかここで取り上げたいです。

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