「ともにいられない」気持ちに隠された可能性
ともにいられる?いられない?
時間は有限だからこそ、皆さんは何かしらの基準に基づき、何かを選んで過ごしている側面がある思います。
何を読むか、何を観るか、何を話すか、誰と過ごすか・・・
何かしらのゴールを目指して選んでいることもあるでしょうし、その時の気分で選んでいることもあるでしょう。例えば、どうでもいいYoutubeをつい観てしまうことであっても、その根底には「癒し」や「笑い」が欲しいといった無意識の欲求があるかもしれません。
私たちが普段選ぶものは、得てして「ともにいられるもの」であることが多いです。
「ともにいられるもの」とは、自分に必要なもの、慣れているもの、と言い換えるとわかりやすいかもしれません。
では、逆に「ともにいられないもの」とは何でしょうか。
それは、自分にとって不要なもの、心地悪いもの、いつも避けているもの、直視できないもの・・・そんな感じでしょうか。
どうして、泣いてるの?
クライアントDさんは、自己成長に貪欲で、仕事にも精力的に取り組んでいました。ところが、ある日のセッションで、少し混乱した面持ちでこう話し始めました。
「仕事も、プライベートも、これからどうしたら良いかわからなくなった」
「一生懸命前に進もうとして頑張っているんだけど、振り返ったら50cmしか進んでいないような感覚」
Dさんから直感的に伝わってきたのは、「前に進むことに急いでいて、大切なものを置いていってしまっている感覚」でした。そこからは、その置いていってしまっているかもしれない何かを探求するような関わりが続きました。
暫くすると、Dさんは、顔を突っ伏して座って泣いている女の子に出会いました。それは、Dさんの内面にあるイメージにすぎませんが、かなり昔からその女の子は泣いていたようでした。
「泣いている理由が分からないので、どうしたら良いか困っている」
そうDさんは言いながらも、女の子からは「寂しい」という感情は伝わってきたようです。そして、そっと隣にいて背中をさすってあげたのです。
それから、Dさんは感情の起伏が収まったことに加え、昔の色んな体験を思い出すようになったそうです。理屈として、どうしてそうなったのかはわかりません。ですが、置き忘れた何かと「ともにいた」ことが1つのきっかけとなったのでしょう。
あなたの「ともにいられないもの」は何?
「ともにいられるもの」といることは、とても大切なことだと思います。
ですが、「ともにいられないもの」といる経験も、成長において非常に重要だと信じています。なぜなら、それを避けながら生きると、途中で何かがもろく崩れ落ちたり、逃げ回って逆に不自由になることが起こり得るからです。
ここで、アートを使って「ともにいられないもの」を少しだけ体験してみましょう。
あなたが、どこかの美術館に行って作品を観ると想像してみてください。そこには、「じっくり観たい作品」と「通り過ぎる作品」があるのではないでしょうか。美術館のとある一角にこれらの作品が飾ってあります。自分の好きなペースで観てみましょう。
■ ニコラ・プッサン「嬰児虐殺」
■ クロード・モネ「睡蓮」
■ ポール・ゴーギャン「いつ結婚するの」
■ マルク・シャガール「私と村」
■ ルネ・マグリット「光の帝国」
■ ジョルジュ・ブラック「クラリネットのある静物」
■ アンディ・ウォーホル「キャンベルのスープ缶」
これらの中で、あまり目に留まらなかった作品、もしくは観たくないと感じた作品は何だったでしょうか?
「意味が分からない」「つまらない」「痛々しい」「美しくない」・・・
ともにいられない背景には、色んな理由があるでしょう。
では、それを暫くじっと観てみてください。絵を隅々まで観て、感じて、自分の感情にも意識を向けてみてください。
例えば、ポール・ゴーギャンの絵を挙げたならば、「表情もない人に、じっと見つめられているのが不気味だ」と感じる人がいるかもしれません。そして、さらにその感情に意識を向けると、「人から監視されると自分らしく居られない、怖い、逃げたい」等と徐々に内省していく自分に気付くかもしれません。
これが、「ともにいられないもの」と一緒にいる感覚です。
コーチングでは、日常生活における行動や思考、感情から、クライアントの内面にある「ともにいられないもの」を探っていく関わりをします。そして、それをあえて味わうことで、自己理解が促され、何か大切なものに気付いていくのです。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!
【参考】Artpedia https://www.artpedia.asia/