周りの評価をはねのけた先にある美しさ
” 美には二つの種類がある。一つは本能から生まれてくるもの、もう一つは入念な研究の結果から生まれるもの "
―― ポール・ゴーギャン
美しさは、天性のものだけではない。
突き詰めた研究の結果から生まれる美しさも存在する、という素晴らしい示唆を残してくれています。
とても興味深いのは、とりわけ研究の結果から生まれる美は、その素晴らしさを万人から理解されづらいことがある点です。
「混乱なんかしてねえよ、バカ」
アクション・ペインディングで有名なアメリカの美術家、ジャクソン・ポロック。
彼は、シュルレアリスムの「無意識」と「オートマティスム」の概念に関心を示し、そこから絵具間缶から絵具を直接滴らせる「ドリッピング」(したたらせ技法)や、絵具を垂らす「ポーリング」(流しこみ技法)を発明しました。
■ 検索(1955年)
周囲からは「いくら讃えようとしても、讃える言葉が見つからない」と言われるほどで、その大胆な描き方は、絵そのものの概念を大きく覆しました。
一見、ただ絵の具をぶちまけたようにも見える彼の絵ですが、「自分の技法は、情動を表現するのに最も適した技法である」とポロックは確信し、徹底的に研究を重ねました。
あるとき、ポロックの作品を「感情的に混乱している」と揶揄した記者がいました。その揶揄した記者は、あの「タイム誌」の記者でした。おそらく、アクション・ペインティングに対する美に心から共感できなかったのかもしれません。
ポロックは、その記者に対して「混乱なんかしてねえよ、バカ」と返事をしたそうです。
信念の先に美は創られる
理想としての普遍妥当な価値として、「真・善・美(認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美)」という概念があります。
普遍妥当な価値と定義されると、万人にとって良いもの、万人にとって美しいものがあるように感じてしまいますが、その定義は極めて難しい。
鑑賞者に「美への固定概念」があれば、その概念から外れた対象は「美しい」と評価されないのです。
だからこそ、アーティストには感性だけでなく、研究や鍛錬に基づく強い信念が必要なのです。外部の人の評価に左右されているようでは、入念な研究の結果から生まれる美は失われてしまうからです。
一部で批判も出たポロックの絵ですが、彼の呈した美の世界観は今では高く評価されています。そう考えると、「真・善・美」が幅広く理解されるには、時間がかかることを前提とした方がよいでしょう。
一般人とプロの差
誰でも気軽に評価ができる現代では、自らの美に対して揺るがない信念を持つことは重要なマインドセットなのではないでしょうか。
一部の評価で、積み上げてきた研究が崩れてしまうのはなんと惜しいことか。信念に基づいた何かに対するトンチンカンな評価には、「バカじゃないの」と言ってやるくらいの気概があっても良いと思います。
ふと、全米オープンで若干19歳で優勝を果たしたテニスのビアンカ・アンドリースク選手の発言を思い出しましたので、ここに記しておきます。
「最近は誰だってテニスができる。一般の人とプロの違いは、マインドセットだと思うの」
もしあなたが信念を持って動いているのであれば、自分なりの真・善・美を探求しているのであれば、周囲の反応は一旦脇に置いて動き続けてほしいです。
自分自身の信念や思想に基づいて生きるというのは、実は勇気のいることなのです。周囲に受け入れられない辛さがあったとしても、それはあなただからこそ試されている挑戦なのかもしれません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!
【参考】
https://www.artpedia.asia/jackson-pollock/
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