
盛岡にある、石川啄木先生の史跡を巡って。
こんにちは。
ふるさとの山に向かひて言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
この有名な、程よい耳触りの詩。石川啄木先生の詩になります。先日、盛岡にお邪魔した際、石川啄木先生のゆかりの地も回りました。
岩手の文学碑の多いこと、多いこと。調べずに歩いていましても、ふとした時に出逢います。
商店街にて。『北風に立つ少年啄木像』
〒020-0022 岩手県盛岡市大通2丁目7−28
昔この辺りは不来方城菜園の跡地である。
中学生の頃の啄木にとって、この畦道と城址は詩情の泉であった。
与謝野鉄幹、晶子夫妻の魅力にひかれ、希望に胸ふくらませて、はげしい北風に立ち向かう彼の姿である。
と刻まれています。勇ましい!!
盛岡城跡地には、歌碑があります。
〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1−1
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
と刻まれています。
盛岡城は不来方城「こずかたじょう」とも呼ばれていたとのことです。
少年期の啄木先生が、学校から逃げ出し、哲学書や文学書を読みながら昼寝に耽っていらっしゃった、説明書きがありました。
僕が行った日は雨で、昼寝をするわけにはいきませんでした。しかし、岩手山を眺望しながら、桜の木を背にして、文学書を読みながらうたた寝すると、きっと心地良いものでしょうね。
少年期の先生の姿が、瞼に浮かんでくるようです。
さて、最後に石川啄木先生の新婚の家。
〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3丁目17−18
武家屋敷で新婚生活を営まれました。多くの資料や年譜があります。奥様との出会いの逸話も。
素敵な資料館です。
石川啄木先生は26歳という若さで夭逝されました。
僕はとっくに超えてしまったわけですが、こうやって文学碑をめぐっていますと、人間の儚さと尊さを切に感じます。
そして、先生らが大事に継承された言葉を使って、生き、小説やnoteを書き、日常的に口にしていることを考えますと、畏敬の念を抱きます。
この場を借りまして、謝辞を。
花子出版 倉岡
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