金閣寺を読む 第九章 花子出版
こんにちは。
師が走ると書いて、師走。師問わず、多くの人が慌ただしく動いております。そんな私も、年内に会うべき人には会っておこうと思い、予定を立てております。また、勉強に関しても年内に終えたい参考書がありますので、計画通りに進んでいます。
『終わりよければすべてよし』というわけではありませんが、年末が幸せな時間なら、その年はいい一年と言えるのではないでしょうか。
『金閣寺を読む』も残り二章となりました。最近、三島由紀夫先生について考えることが多々ありまして、書籍や動画を漁っておりました。海外の記者に答えるインタビューがありました。気になる方は検索をかけてみてください。
非常に流暢な英語をお話しになります。それも、人間の内面や文化や武士道など、なかなか英語にしにくい言葉をすらすらと。
語学にも長けていらしたんですね。
私の来年の目標に語学上達があります。とりあえずは英語。さらには中国語までいければ、きっと頑張ったと言える年になることでしょう。
研鑽を積みます!!
さて、第九章が始まります。
梗概
溝口は老師から授業料や交通費などの大金を受け取る。出奔の件もあり、老師から大金を直接受け取ったことが、老師が自分の計画を見抜き、決起を外させるように企んでいるのではないかと考える。よって、溝口は早く大金の使途を見つける必要があった。
六月十八日の晩、溝口は金を懐ろにして、寺を忍び出て、通称五番町と呼ばれる北新地へ行った。彼は金閣寺を焼こうとしているのだが、死の準備に似ている。自殺を決意した童貞の男が、その前に廓へ行くようにだ。
柏木の言葉を想起する。
『商売女は客を愛して客をとるわけではない。老人でも、乞食でも、目っかちでも、美男でも、知らなければ癩者でも客にとるだろう。並の人間なら、こういう平等性に安心して、最初に女を買うだろう。しかし俺にはこの平等性が気に喰わなかった。五体の調った男とこの俺とが、同じ資格で迎えられるということが我慢がならず、それは俺にとっては怖ろしい自己冒瀆に思われた』
溝口は不快になる。吃音症ではあるが、五体は調っている。
『……というももの、女がその直感で、私の醜い額の上に、何か天才的犯罪者のしるしのようなものを読み取らないだろいうか?』
溝口はまたも不安を抱く。そして、足が捗らなくなった。金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。
とこうするうちに仄白い明かり一角に見えはじめた。一角の中には、有為子が生きていて隠れ住んでいるという空想が溝口の足を前に進める。
老師からの大金を使い切るという固い義務を背負い、溝口は遊廓の古い階段を登った。
八畳の寝間に入る。遊女のまり子が、蒲団の上へ片足を踏み出し、電灯の紐を引いて灯りをつける。
溝口は不器用に脱衣し、まり子もタオル生地の浴衣を肩にかけながら器用に洋服を脱ぐ。まり子は、初めて遊ぶ溝口の鼻を指先で突き、笑った。溝口は枕行燈のあかりの中でも、見ることをやめなかった。見ることが生きている証明だからだ。
溝口は普遍的な単位の一人の男として、まり子から扱われた。快感は頂点に到達していたが、その快感を味わっているのは他人のようである。遠いところで、疎外している感覚が湧き立ち、やがて崩折れた。
溝口は忽ち、まり子から身を離して、額を枕にあてがい、冷えて痺れた頭の一部を拳で軽く叩いた。それから、あらゆるものから置き去りにされたような感じに襲われたが、それも涙の出るほどではなかった。
事後、まり子は
「又来なさいよね」
と言う。まり子の汗ばんだ乳房を溝口はおそるおそる触れた。決して金閣に変貌したりすることのない唯の肉だ。
溝口は、翌日もまり子に会いに行った。金が十分残ったからではなく、最初の行為が、想像裡の歓喜に比べていかにも貧しかったので、もう一度試し、少しでも想像上の歓喜に近づける必要があったからだ。
二度目の行為はとどこおりなく気軽に運んだ。溝口は快楽を瞥見したように思ったが、それは想像していた類いの快楽ではなく、自分がそのことに適応していると感じる自堕落な満足にすぎなかった。
「あんまりこんなところへ来ないほうがいいと思うわ。あんたはまじめな人だもの。そう思うの。深入りせんと、まじめに商売に精出したほうがいいと思うわ。来てほしいことは来てほしいけど、私がこう言う気持、わかってもらえるわねえ。あんたが弟みたような気持がするんだもの」
と、まり子が言った。
「一ト月以内に、新聞に僕のことが大きく出ると思う。そうしたら、思い出してくれ」
溝口は言い了ると激しい動悸があった。しかし、まり子笑出す。
「だってあんたって嘘つきだねえ。ああ、おかしい。あんまり嘘つきなんだもの」
まり子が言う。溝口が反論するも、まり子は笑った。
溝口の言葉もまり子は信じない。例え目前に地震が起こっても、世界が崩壊しても、まり子は信じないかもしれない。自分の考える筋道どおりに起る事柄しか信じないのに、世界がまり子の考えるように崩壊することはありえず、まり子がそんなことを考える機会も金輪際なかったからだ。
なすべきことが終わり、溝口は遊廓にいくことはなかった。あとは、老師が溝口の大金の使途に気付き、そして放逐することのみだ。
だが、老師は溝口の大金の使途を追求することはなかった。
また、とある日老師は頭を膝の間に擁して、両袖で顔を覆うて、うずくまっていた。溝口は、老師が急病に襲われているのだろうか、と考えるも、仔細に見ると、矜りも威信も失くして、卑しさがほとんど獣の寝姿を思わせた。
突然、『私に見せているのだ!』と、溝口は考える。通る時間を老師は熟知し、それに合わせて溝口に憐憫の感情を掻き立たせようとしているのだ、と。
すると、溝口の感情が逆転し、放火への決意がより固いものとなった。
以上梗概。
以下、私の読書感想。
いやー、物語も終盤です。遊廓に向かう主人公の溝口は、ここで再び自殺した有為子の面影の想起です。恐らく初恋である有為子への想念は、根深いものがあります。
『初恋』は、男にとっては人生の指針といえる出来事かもしれません。思い返すと、私が実際にそうでした。かなりの影響を人生に与えたような気がしております。
女にとっては分かりません。近々『初恋』について、女性の見解を聞き、記事を書いても面白いかも知れませんね。
では最終章で、お会いしましょう!!!
花子出版 倉岡剛