英読書会-夏目漱石「道草」
夏目漱石「道草」(1915)読書会(2020/9/28)
参加者:英、TAさん、YTさん、AIさん、YMさん
●漱石の他の作品は動きがあるが、「道草」は範囲がせまいし、何もおこらない。異色なかんじ。
●人間関係のこまかい、嫌な部分が描かれる。あるなあ。
●とにかくみんなお金せびってくるの大変だな。
●漱石が完結させた最後の作品。「吾輩は猫である」を書き始めたころの自伝的小説らしい。かなり事実。養父との金銭トラブル、妻との不和など。これまで漱石は自然主義の人たちからは批判的だったが、これは評価されたらしい。
●夫婦関係のうまくいかなさ。リアル。
●ダメ人間だけどこの人好き、という人はいるが、健三の場合は、自分の夫にはしたくないな!漱石の作品はすごいと思うけど、自分は漱石は「好き」ではないなと確認した。
●奥さんが寝ているところをのぞくシーン、「夢十夜」の一話と共通する。独特な、不気味さのタッチ。
●身内でお金のやりとり。家がセーフティーネットだった時代なので、そのようなことも普通の感覚だったのだろう。現代は年金とか生活保護とかある。まず親戚にせびりにくるのが当たり前の時代。
●女の子ばかり生まれて残念に思う健三。男の子じゃないと将来やしなってもらえないのではないか。健三にもそういうところがある。年金とか無い時代だから、家族には金銭的な扶助の件がついてまわってしまう。
●冒頭の描写が良い。男、何者かわからないが不吉。
●「自然」という言葉の使い方が面白い。現代とは違う使いかた。
●子供の時にこんな育ちかたをしたら、大人になっても自己肯定感持てないだろう。実の親も養父母も。幼い頃から物品と扱われた。トラウマになっただろう。自分の子供を素直に可愛がれない。
●その結果、健三がそのような人間になってしまったことは哀れだが、許すことはできないな
●そういう状態で、最高の頭脳を持ってしまった漱石、人間観察にふりむけられたのだろう。
●俯瞰して描けるのはすごい。自分のこと、相手の気持ちを冷静に分かってしまっている。妻の気持ちも想像し、その上で書いてるのはすごいが、しんどいだろうな。
●妻もしんどいタイプ。あっけらかんとして気にしないような人ならいいのだが。病気が夫婦の維持に必要なものとなっている、という記述、「うわ」って思う。それに条件をたくさんつけているの面白い。妻が子供への愛に走るのわかる。
●現代の夫婦にも通じる。読んでほしい。
●小説をかくきっかけになったころのことを書きたかったのかも。小説を書き上げるところの描写。健三が唯一、夢中になっているところ。ただし、お金のためだったり、周りくどかったりして、漱石のひねくれ者具合も垣間見える。自分の境遇に辟易しつつも、小説という生き方を見つけた漱石なりのターニングポイントだったのだろう。健三もこのあと小説を書いてゆくのだろう。書くことが救いにもなれば良いが。
●ラスト、妻は「すっかり片付いた」、建造は「まだ片付かない」という。この言葉が重い、リアル。
●とはいえ、ラストシーンの妻との会話。最初のほうと比較すると、お互いの考えは違うものの、対話が成立している。以前は忖度して、心で思っていても会話が成立せずに終わっていた。ここでは、言いたいことは言い合えている。希望にも見える。
●「こころ」の先生も同じぐらいの年齢で自殺したよう。30代半ば〜後半?。しかしこの夫婦、なんだかんだこのまま死なずに生きていきそう。安心して読んだ。こんな同年代やだな、嫌なやつだと思うし美しくないが、死なないから良いな。
●タイトルなぜ「道草」?→雑草みたいなイメージ(やってもやっても終わらない)ずぶといみたいな意味も?回り道している。普通の親に育てられたらこうはならなかったかも。それらの、ダブルミーニングかもしれない。
●漱石の人生を見ると、周囲の人の死、子供の死、自分の病気、神経症など。小説だと俯瞰して見ているが、どえらい人生。才能はすごいが、この人が近代小説へ進んだのは、業(ごう)だなと思う。
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