先生の美しいビーチと逆効果の話
地元のおばさんとビーチについて話をしていました。会話といっても9割おばさんが話してくれて、私は必死になんとか聞き取ろうとするコミュニケーションなのだけど。
その女性は元教師で(何の先生だったのかは私の力不足で聞き取れなかったのですが)、今はボランティアやかわいい孫の世話をしているとニッコリ微笑みながら話す人です。こどもに関わることに全く縁遠い人間な私は、こどもに愛情を注ぎ教育に関わる人を反射的に全面的に崇めて手を合わせたくなる。
この元先生に私は現地語を教えてもらっています。私が住む島は2つの公用語があって、スペイン語とは異なる地元言語を、おばさんはボランティアで移住者に教えてあげている。
リタイヤした今も教えることに携わるとは、しかもかわいいこどもだけじゃなくて、かわいくない大人にまで学びの機会を与えてくれるとは、本当に教育に熱心な人だ、床に頭を擦り付けてめり込みたいくらい尊敬してしまう。
無償で結構な時間と労力を差し出していただけて、私にとってはとても幸運なことです。
先生と初めて話した時、
「娘がアジア(の何か)を大学で専攻していてね、その交換留学で1年間東京に住んでいたのよ。彼女がここにいたらあなたと日本語で話して喜んだでしょうにね。今娘は本土で働いているの」と、教えてくれた(と私の脳のわかる限りで思っている)。
おばさんと会話の練習をするのに、「何か私に質問してみて」と言われて、フリートークが日本語でも下手な私は脳内を高速回転して絞り出して「お気に入りのビーチは?」と聞いてみた。
「好きな色は?」とかよりマシな質問ではないだろうか。日本にいてそんな会話したら、サーファーとか沖縄出身とかでもない限り、ヘンテコな質問で会話は風船の糸を放してしまったように飛んでいってしまうかもしれない。
だけど我々は島に住んでいる。だからこの質問は盛り上がった。
先生のお気に入りの砂浜がきれいなビーチは、私は行ったことのない場所で、「このビーチのね、先に行くとね、ヌーディストビーチがあるのよ。急にその一部だけそうなの」と解説もしてくれた。
ところが「でももう全然行かないの」と先生は言った。
いかに美しい場所であるかを目をキラキラさせて語ってくれていた先生の笑顔が、傘を用意していなかった日にやってきた突然の夕立のように、あれ?さっきまで晴れてたのに、という感じで、パッと変わった。
「観光客だらけで、もう人が多すぎて、夏は暑すぎるし。もし行くとしたら私はすごく早朝か、夕方以降ね、日が傾いてから。あなた知ってる?この島にはたくさんの隠れた美しいビーチがあったの。だけどどんどん観光客が増えすぎて、台無しになってきたの。だから私たちの海を守ろうって運動をしていたの。みんなで集まって活動していたの。そしたら新聞とかメディアで取り上げられるでしょう。どうなったと思う?“こんなに美しいビーチがあったんだ!知らなかった!”って人々がますます来てしまったの!」
私は思わず「なんてこった」と言って顔を覆って笑ってしまった。
先生にとっては、地元の人たちにとっては笑い事じゃないのだけれど。
産卵中のカメを守るために周りに人が寄ってこないように溝を掘ったらそこに亀が落ちて死んでしまった、みたいなイメージ。違うかな。
火事の現場に助けに行くためにバケツの水をかぶったと思ったら灯油だったみたいな感じだろうか。違うかな。
いずれにしても期待していた結果とは全くの「逆効果」だったわけです。
ところで、先生の話を聞いていてこれが「オーバーツーリズム」という話題の一つなんだなと私は納得していた。
確かに、私も前に島の辺鄙なところにあるロッキービーチ(岩でゴツゴツして水が透明で美しい海岸)に行ったら、ドローンを飛ばしている人たちやウエディングドレスを着てカメラマンと撮影している人たちがいて、みんな外国人のようだった。それが悪い、と私は言いたいわけではないのだけど、以前のような雰囲気は失われてしまったのだろう。腹が立つ近隣住民もいるのかもしれない。
それまでは家族でちょっと泳ぎに来てピクニックしながらのんびりする場所だったのが、撮影する人々で溢れていたら興醒めと言うか、残念な気持ちも少し想像できる。
私は勝手に地元民側の立ち位置でものを言っていますけど、誰がどこからみても私もオーバーツーリズムに加担する観光客側にしか見えない。だからと言って何か嫌な目にあったことは正直全くない。人々はとっても優しい。
地元の海を守ろうと活動していたらそのビーチのプロモーションになってしまったと苦笑いする先生の言葉がもっとわかるように私もなりたい。