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住めば都、君は運命の人 | 引っ越しの話アゲイン
「恋愛の相手を選ぶことは、引っ越す部屋を選ぶのに似ている」
こう言ったのは、かの……私のかつての同僚。
彼女曰く、「最初はこの部屋がいい!って気に入って決めたはずなのに、だんだん良くないところが見つかっていく。次はああいう部屋がいい、って新しい理想ができて、次の部屋に引っ越す」
自分で自分の暮らす部屋を選ぶ、という経験がまだなかった当時の私は、「ふへー」とただただ頷くのみ。
しかし、30になり、計3回の転居を経験し、結婚もした今思うと、私としてはこうである。
「住めば都」
①はじめて家族になった引っ越し
これは、結婚する前、私が「岩瀬はな」だったときのこと。
私とって引っ越しは、物語世界の中にある遠いものだった。ずっとずっと、いつか私も引っ越ししてみたいって思ってた。新しい部屋、新しい暮らし、新しい生活。キラキラ〜!✨🥺
その話を書いたのが、「引っ越し」テーマで書いたこの記事。
そんな"引っ越しに恋する"私にとって初めての「引っ越し」は、14歳の冬、突然やってきた。
同居していた親類とのあいだに揉め事が起きたのだ。
その親類を古き良き木造建築に残し、私たち(父・母・私・弟)は、別の場所に転居することになった。
あんなに何度も夢に見て、憧れていた引っ越し。
身長はかりっこした傷、思い出の詰まった部屋、そういうものを懐かしみ、ゆっくり家にお別れをいうもんだと思っていた。
けれど私の「実際のはじめての引っ越し」は……「一刻も早くこの家を出ていきたい」以外の感情はなかった。
🏠さらば築ウン十年の木造建築!!!
新しい家での暮らしが始まった日。
急だった事もあって、部屋には電灯もなかったけれど、とにかくはしゃいだ。
夕方過ぎて真っ暗のなか、懐中電灯とわずかな光の中でご飯を食べ、それぞれの部屋になる予定の場所で眠った。
はじめて「家族4人」での生活が始まった日。
私たち家族は、今はじめて、「岩瀬家」になったんだ。そんな思いがあったし、今もある。
今もあるので、岩瀬家の人たちは、「引っ越しをした記念日」には焼肉パーティーをする!!!肉を!!!食う!!!!!🍖
それほどまでに、家族史に残る一大事件なのであった。
私としても、はじめて手に入れた自分の部屋、フローリングのリビング、対面式のキッチン、ふつうの風呂場……思い入れが一入だ。
②新しい家族になった引っ越し
そんな「我が家」から引っ越すことになったのは、結婚が決まった夏のことであった。
でもあれは今思うと、引っ越しというより、転がり込んだっていうほうが近かった。
私は、必要最低限のものだけリュックにつめて、ほぼ「身ひとつ」で暮らし始めたのだから。
「新居」は、春先に2人で選んだ部屋。
先に夫が入居を終え、夏の私の引っ越しを待っている状態だった。
もともと一人暮らししていた夫の部屋があって、そこに、じわじわと私のものを実家から運んでいく。月の半分くらいは実家、もう半分は夫のいる新居。行き来しながらの運搬だった。
これもまた、私の中の「引っ越し」のイメージとはちょっと違って、思い返しても「引っ越しです」っていう実感はあんまりない。
でも、いいところもあった。
「夫の部屋」に、少しずつ「私のもの」が増えていく情景、めっちゃイイ。
王道「2本並ぶ歯ブラシ」を筆頭に、少しずつ彼の生活を私が侵略していく様に、私は興奮した。
男の一人暮らしには必要のなかったであろうものをじわじわ買い揃えては運んでいくのも、通い妻感あって、すごくよかった。
推しと結婚したぜぇええええ!!!
🏠狭いながらも、楽しい新婚生活
このときのおうちは、立地は最高だったが、とにかく狭かった。大人2人がギリだった。
でもここは、まさしく「狭いながらも楽しい我が家」。私はこの家を、暮らしを、気に入っていた。
長男が生まれたのも、この「狭いながらも楽しい我が家」だった。
最初はただ寝ているだけだった長男が、すくすく大きくなり、動き出し、どったんばったんやるようになり……たくさんの思い出が生まれていく。
いっぽうで、「もうここで暮らしていくのは難しい」という思いも膨らんだ。成長していく子どもを育てるには、どう考えたって、この家は狭い。
でも、元来保守的・変化を嫌う、そんな家庭で生まれ育った私は、「2つ目の新居」に腰をおろしてしまっていた(現に私の実家のひとたちは、今もまだ「1つ目の新居」で暮らしている)
一階だからめちゃくちゃ湿気っぽくてすぐモノがカビる部屋だったけど、まぁそれさえ気をつければ…って感じで
なんやかんや、1年が経った。
③-1 新しい家族とともに引っ越し
そんな私が3回目の引っ越しを「今の住居」にすることになったのは、「結婚相手が夫だったから」だろう。
おうちの「更新」を目前にして、さらには、私のお腹には新しい命がやってきて……
夫は「家を買う」と決めた。
ひ、ひええええ、はやくない?はやくない???まじ?????あわわわわわ
しかして、「こう!」と決めたら早いのが、夫。
……いや、でも、だって、あーでもないこーでもないとするのが、私……
私が心の準備をしている間に、夫はいくつかに候補を絞り、見学に申し込み、「こことここの見学には、ついてきてほしい」などとマネジメントされ、あれよあれよと話は進む。
「住む土地を自分で選ぶ」という経験は、実質これが初めてだったので、ちょっと楽しかった。
結婚して引っ越した時は、「2人の仕事場に行きやすい中間地点」で絞ったので大体の地域は決まっていて、「住む土地を選ぶ」という感覚はなかったのだ。
ふーん、私、ずっと同じ地域で暮らしてきたけれど、なんだぁ、人ってこんなに簡単に、どこにでも行けるんだなぁと思った。
そうして、私たちが気に入ったのは……
いくつか見に行ったなかで、「はなの生まれ育った場所に似ているから気にいると思う」と夫に紹介された物件。
子育てしやすくて、実家も近い場所を、私はまんまと気に入った。
どこにでも行けるんじゃなかったんかーい!
まぁ、そこは、私の保守的なところですね。
「3つ目の新居」、キミに決めた!
今住んでいるところは、本当に、私の地元に雰囲気が似ている。見に行ってすぐに「ここで生活したい!」って思ったし、今も、近くにある景色のあれもこれもとっても気に入っている。
そしてなにより、夫が「私の地元に似ているところだから気にいると思う」って真っ先に言ったのが、なんかちょっと嬉しかった。
🏠幼児を抱える妊婦の引っ越し準備
きたきたきたきたきた!
これはいよいよ本当に本当の「引っ越し」だ!!!
引っ越しセンターの段ボールが狭い家に一気に運ばれ、ほぼ生まれて初めてのそれっぽい、本物の「荷詰め」が始まった!
(それまで、スーパーでもらったオムツやらペットボトルの段ボールにしか詰めたことなかった)
しかし、そんなウキウキワクワクの引越し作業には、大きな問題があった。
1歳半になろうという元気印の長男坊を見ながら、妊娠中期のお腹を抱えながら、引っ越しの準備をする日々を、なんていうかご存知?
地獄っていいます。
まじでまじでまじでつらい!!!!!
夫ですか???片付けが世界で一番苦手な人間なので全然なにもしません!!!!!!もう!!!!!絶対に許さない!!!!!!(うそ。すぐ許した)
それでも、お皿を一枚一枚丁寧に梱包して、服を畳んで詰めて、段ボールの面に「はな」「オット」「長男」「赤ちゃん」なんて家族の名前を書く作業は、なんだかとっても「引っ越し」だった。
私は、夫と、長男と、お腹の中の赤ちゃんと……"新しい家族"と引っ越しをすることになったのだった。
ほっこり。
なぜ登るのか?そこに箱があるからだ。
③-2 新しい時代の引っ越し
さあ、そろそろまとめが来るか?と思ったそこのあなた。現実はそんなに甘くありません!!!(?)
2020年4月7日。
私たちの引っ越しの日。
日本の歴史に残る、あの大事件が起きた。
第一次緊急事態宣言である。
ニュースで宣言が発表されたとき、私たちの「旧家」には、もうなにもなかった。
箱から家具から全てのものが既に運び出されて、トラックに積み込まれていた。
さまざなイベントが軒並み中止になっていく中、私たち夫婦は震えた。
「え、引っ越しは中止にならないよね…?!」
大人2人ならどうとでもなろうが、1歳半の幼児と、妊娠後期の妊婦である。ベッドも冷蔵庫もない家での生活などできるわけがない。
ひえ……電話来たらどうしよう……ガタガタガタガタ……と怯えていたが……
幸いそんな連絡はなく!
そのまま引っ越しは挙行された!!!!!
めちゃくちゃ安心した!
上半期で最も安心した!上半期MVP!!!
年間MVPは次男が無事に生まれたことだからそれは越せない!!!すまん引っ越し業者!!!ありがとう引っ越し業界!!!本当にありがとうございました!!!!
🏠子持ちの引っ越し、オトナの現実
そんなこんなで、私たち3人とお腹の赤子は無事に新居へと引っ越すことができた。
しかし、当初私たちが思い描いていたご近所さんとの交流などは一切生まれず、すれ違って挨拶程度。近隣施設の開拓などもできないままに、次男出産。
2歳と0歳を抱えた2児ワンオペ生活が幕を開けた。
新しい生活様式のなか、新しい土地でワンオペ育児するのめっっっっちゃつらい…………
長男のときは、母親学級やら赤ちゃん教室やらあって、そこでママの繋がりができて色々聞けたけど……軒並み中止……!
とりあえず児童館と支援センターに問い合わせて……小児科探して……
あれ?もしかして、引っ越しって、めちゃくちゃめんどくさい?
あんなに憧れていた引っ越しの、現実を見たようだった。というか、現実そのものだった。
これまで生きてきて、土地とのつながりなんて、人とのつながりなんて、考えたことがなかった。それは私が、同じ地域で暮らしてきたからだ。
2回目の引っ越しの時は、正直、夫さえいればなんでもよかった。どこに住もうが関係ない。夫と同じ家に帰って、同じ布団で寝ることがただただ幸せだった。
だって新婚だったから!!!!!(ドーン)
子どもが生まれるというのは、子どもを育てるというのには、「どこ」は非常に重要だ。
大きな転勤がない職種の私たちは、子どもがいれば基本的に、その土地に根を張ることになる。
治安、雰囲気、かかりつけの●●がある、いきつけの●●がある、頼れる知り合いがいる……どれもこれも、「その土地で子育てする」には重要な情報だ。
特に現代は核家族。子どもの成長をともに見守ってくれる親以外のコミュニティの存在は必要不可欠。
さらに保育園、小学校と通うようになると、おいそれとは引っ越せない。なんらかの事情で引っ越すとなれば、子どもたちは転園・転校することになり、私たちはまたゼロからのスタート。保育園ならまた保活。ひ、ひええええ
30年目の真実。
「引っ越し、めちゃくちゃめんどくさい」
夢も希望もへったくれもない。
これが大人になるってことか……😇
④これからの私たちの引っ越し
子どもも小さいし、マイホームだし、これから我々は、しばらくはここで生きていくんだろう。
「狭いながらも楽しい我が家」の記憶は、長男にはもうない。彼にとっては今の家が「我が家」で、これからも「実家」であり続ける。
私たちが選んだこの場所が、息子たちにとっては「地元」になっていくんだな。
うーん、次、私たちが楽しく引っ越すとしたら。
子どもたちが巣立ったあと、夫と引っ込んで悠々自適に暮らす、とかかな?
自分の地元が大好きな夫は、いつかは故郷に帰りたい、と言っていた。まぁそれは、要検討だけど。笑
夢だった「カフェ猪狩」を、どこかでこじんまりとやるのもいいかもしれないね。
うん、そういう「引っ越し」なら、したいですね。ぜひとも。
夢広がるぅ!!!
なんだ、結局この記事も引っ越しに夢広がって終わるんかい。まぁそうだよね。私ってそういう人間だよね。知ってた。めんどくさ〜って思っても、すぐ忘れちゃうんだよね。知ってる。
まぁ、なんにしても、夫といっしょならどこであってもめちゃくちゃに楽しくなることには違いない。片付けはしてほしいけどな。引っ越しの時は計画的に荷物詰めてほしいけどな。よろしくな。
引っ越しってすごい。
どこにでも行ける。
どこででも生きていける。
引っ越しの数だけ、ドラマがある。
引っ越しってすごい。
じゃあ「私」にとっての引っ越しは…というと……やっぱり、「住めば都」。そしてそれは、「家族」とともにあるもの。夫ともにあるもの。
欠点があっても、それすらも愛おしい。
私が選んだものは、いつだって最高の選択だ。
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#五賢帝教育研究所
テーマ記事「引っ越し」
6月に一度書いたんだけど、みんながみんなの引っ越しについて書いてるのを見てたら私も自分の引っ越しを振り返りたくなったので、もう1本書きました。
案の定長くなってしまったけれど、楽しかったです。五賢帝のみんなの記事の感想もアップしたいなと思っています。
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猪狩はな 💙@hana_so14
https://twitter.com/hana_so14
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![猪狩はな|教育ライター](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68606206/profile_06023645c8a728f1e5ab4a959fad028a.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)