平成生まれの私がハマる伝統工芸「七宝焼」とは
こんにちは。
七宝焼窯元・太田七宝六代目satsuki*です。
今回は「そもそも七宝焼とはなんぞや」という話をしたいと思います。
私が前職の退職の挨拶回りで何度も言われた言葉があります。
「七宝焼?あれ、ろくろ回すやつ?」
…回しません。
いや、個人的にろくろはすごく回してみたいけど。
愛知県の伝統工芸として、メディアでもたびたび取り上げられ、県内の学校では教材にもなっている「七宝焼」
その知名度の低さに驚きました。
とかいってる私もぶっちゃけ23歳くらいまで知らなかった。
正直、普通に暮らしてて伝統工芸に興味もつ人って少数派だと思うんです。私もこの仕事始めるまで全く興味なかったし。
学生時代の修学旅行とか、大人になってからだとカニ食べ放題バスツアーのおまけ的についてくる工房見学とか、世の中の多くの人にとって、その程度のコンテンツなんですよね。現代の伝統工芸の扱いって。
そして〇〇焼と名がつけば、大抵ろくろ回す系…
なぜ七宝焼の知名度がこんなに低いのか…
どうしたら知名度上げられるのか…
日々考えて、いろいろ試行錯誤はしているけど、地道に伝え続けるのが一番の近道なんじゃないかと思ったり。
七宝焼とは
金属、基本的には銀や銅を素地に使い、ガラス質の釉薬(絵の具)を800度くらいの窯で焼き付ける工芸品です。
ちなみにいちばん身近でみんなが持ってる七宝焼というとやはり校章。
私が七宝焼という言葉を知ったきっかけもこれでした。愛知県は特に七宝焼の盛んな地域なので、七宝焼の校章を使う学校が多いですが、近年は全国的に使われていたり、会社の社員章にも使われるので、知らないうちに七宝焼使ってた!なんて人もいるかもしれませんね。
江戸時代から伝わる技術
そもそもなぜ、七宝焼が愛知県の伝統工芸品なのか。
元々は古代メソポタミア文明の時代に生まれた七宝焼はシルクロードにより中国へ、そして日本へ伝わってきました。
七宝とは、仏教用語で「金、銀、水晶、瑠璃(るり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、しゃこ」の七つの宝のこと。それに匹敵する美しさであることから「七宝焼」という名がついたと言われています。
江戸時代、尾張にいた梶常吉が海外の七宝焼に魅せられ、何とか七宝焼を自分で作れないか、と思い立ちます。
初めは焼き物なんだからろくろ回すものだと思って普通の焼き物の研究をしたそうです。なんだか親近感がわきますね。
何年も試行錯誤し研究を重ねた結果、七宝焼の制作方法を見つけ、その技術が弟子へ、その弟子へと受け継がれながらさらに美しく洗練された技術となり、現在の七宝焼になっています。私の高祖父や、今や数件まで減ってしまった七宝焼窯元の創業者たちもその弟子や孫弟子たちの1人だったわけです。
愛知県から全国へ七宝焼制作の技術が広まり、その生産が盛んだった地域は「七宝町」と名付けられ、現在もその七宝町を中心に愛知の伝統工芸として親しまれています。
後継者不足…七宝焼業界の今後
後継者不足により、風前の灯となっている「尾張七宝」
数十年前まではそれぞれの窯元が独自に釉薬を配合し、新しい素材の研究などもされていたため、全ての技術が表に出ることなく、社外秘扱いでした。しかし、窯元も残り数件となり、後継者もほとんどいない今、やり方を変えていく必要があると私は感じています。
たしかに、職人仕事というか、窯の温度や材料による釉薬の厚み、釉薬それぞれの色の癖など感覚的に掴んでいかなければいけないことも多いです。約5年、修行してきてもセオリー通りにいかないことも多くて四苦八苦しています…
しかし、後世に残していくためには私の頭の中だけじゃなく、誰もが理解し実践出来るように、何かしらの媒体に保存していくこと、それをシェアしていくことが必要だと思っています。
芸術とか伝統とかそういう視点もしがらみも全くない普通のOLだった私だからこそ、別の視点から七宝焼という素晴らしいものを後世に繋いでいく手助けがしたい。そのための挑戦を続けていきたいと思います。