流星コーリングを語りたい
推しを語る話。今回は音楽に深く関わる文学作品の話である。
流星コーリング
2018年3月に発売された、著者河邊徹の2作品目の小説。
河邊さんの本業は神戸出身のピアノロックバンド、WEAVERのドラマー兼作詞家である。趣味で書き始めた小説が形になり、前作「夢工場ラムレス」に続き流星コーリングが生まれた。現在次作「アルヒのシンギュラリティ」の書籍化が決定している。
ちょっとファンタジーでロマンスの香りがアクセントになっている作風は、彼の作詞した楽曲にも伺える、言わばWEAVERの持ち味だと思う。
流星コーリングは同名のアルバムと同時に発売され、小説の世界観を音楽で表現している。歌詞のある楽曲の作詞はもちろん河邊先生。
耳でも目でも楽しめる作品だ。
あらすじ
広島の高校の天文部に所属する男子高校生、りょう。
地元で人工流星が降った夜。りょうはその日を境に「明日」へ進めなくなる。
明日を迎えるべく、彼は天文部の仲間の力を借りながら謎に迫っていく。そこで彼が向き合うべき真実とは。
りょうは明日に進めなくなった理由を模索しながら、天文部の仲間が抱えた孤独や悩みを知ることになる。
ループを繰り返すごとに誰かを救える展開だ。きっと誰もが自分と向き合って、明日に向かっていくのだろう。そんなふうに思わせるストーリーだ。
最後の夜と流星
アルバム「流星コーリング」に収録された「最後の夜と流星」は、小説のプロジェクト内で一番最初に発表された楽曲である。
ところがこの曲の歌詞における場面が、小説の中に見当たらないのだ。
「坂道を自転車漕いで」という歌詞があるが、小説においてりょうが自転車を漕ぐシーンはない。一体「最後の夜と流星」は、流星コーリングの物語のどの場面を表現しているのか。
私が思うに、これは「明日」ではないか。
ある一日をループする。
そんな体験をすれば誰もが忘れられないだろう。
忘れられない体験というものは、良くも悪くも人をその日、その瞬間に縛り、何かの折に何度も思い出したりする。
そこから解放された時、即ち忘れられない日を繰り返し思い出すループから抜け出したその時に
最後の夜と流星における重要なフレーズ
「明日も愛してる」
という誓いがなされるのではないか。
これについては様々な解釈があると思うが、なんとなく私はこんな風に思っていたい。