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【私らしいはたらき方】一流企業が好きだった私が、田舎の古い会社で見つけたもの。

キラキラした世界が好きだ。

ビシッとスーツを着て、カツカツとヒールで歩き、背筋をピンと伸ばし、美しい笑顔でバリバリ働く世界。

フライトアテンダントやブランドショップ、宝石店のスタッフやホテルマン、高級車の販売や不動産の販売。


そんな世界に憧れていた17歳。


販売のプロになるため、大原簿記専門学校販売士コースに進路を決め、販売士検定2級、接客接遇検定2級、カラーコーディネーター検定3級、日商簿記2級、電話応対など接客に関する知識を得た私は、念願だったホテルマンとなった。


ホテルマン

大阪のユニバー〇ル・スタジオのオフィシャルホテルでの勤務。


ホテルでの接客は楽しく、美しかった。
いかに「お客様」を満足させることができるかが私の中での勝負だった。

電話応対は、声だけで感謝の気持ちが伝わるようにイントネーションを意識したり、フロントでは笑顔と真心とわかりやすさを重視し、お部屋へ案内する時は「廊下の絨毯のデザイン」や「エレベーターのボタン」のこだわり、窓から見えるライトアップされてる観覧車は天気予報になっているお話など、「ここでしか味わえないお得な知識」をたくさん案内した。


歩く時は背筋を伸ばし、常に笑顔を忘れず、ホテルを歩く人には目を配り、写真撮影したそうなグループには「お撮りしましょうか?」とすかさず声をかけ、お客様のための仕事が楽しかった。



「あ、あなたがはなさんですね!予約したとき、はなさんの電話応対が良かったのでここのホテルに決めたんです。」とおっしゃってくれた甥っ子さんと2人で名古屋からお越しだったお客様。


楽しみにしていたテーマパークだったのに、女性特有のお腹の痛みにおそわれ、申し訳なさそうにお薬ありますか?と聞いてきた大学生のお客様。「お腹あたためたら、だいぶ楽ですよ」とお薬と一緒にカイロをお渡ししたら、帰りにお手紙を書いてくださいました。


「すみません、うちの娘がお姉さんと同じ髪型にして欲しいと..。」お父さんと2人で泊まりにきていた女の子の髪をまとめてあげると、恥ずかしそうだったお顔が満面の笑みに変わり、パパの手をひいて「早く行こ!!」と走りながらデートに向かったお客様。


そんな、ひとつひとつの“感謝の言葉”が私の生き甲斐でした。


お客様が幸せであることが、私の幸せ。

そう思って生きてきた。


仕事一筋だった。


だから、仕事でミスをすると自分をとことん責めたし、「真面目やなぁー」と周りに言われることが悲しかったし、家でも「おもてなし」の本を読んで勉強していた。

接客のプロになりたかった。


そんなホテル生活は、結婚を機に2年で幕を閉じた。


接客は好きだが、これから子供を産んで育てることを考えると「土日祝休み」が必須となった。


接客業は主にシフト制。

私の両親は飲食店での接客業だったので、土日祝は仕事だった。唯一の休みが月曜日だった。幼い頃から淋しい思いをしていた自分と同じようには育てたくなかった。


これからのことを考えて、接客ではなく簿記2級を武器に「経理事務」へ転職した。



OL ~経理事務~

ここでも「キラキラした世界」に憧れを持っていた私は大手ばかりを受けた。

聞いたことの無い会社は却下。
小規模の会社は却下。


全国展開している大手企業に務めることが私のモチベーションだった。


理由?
「ただかっこいいから。」

それだけだった。



そして、
「コカ・〇ーラ株式会社」の経理部に転職した。


でっかい駐車場!4階建ての綺麗なオフィス!受付嬢!別館!渡り廊下!毎朝エレベーターで3階の経理部に出勤!!!

なんてキラキラした世界っ!!


憧れのオフィスレディ!!


制服が無いので、OLの格好をしなきゃいけない♡
夕方5時にはお疲れ様をして、毎週火曜日にはテニスにも通った。

社内の先輩とは飲み会三昧。歓迎会はあちこちの部署で5回も開催してくれた。


「OLって、なんて楽しいんだ!!✨」


今までホテルマンや飲食店、販売など接客しかしてこなかった私は、この「普通の会社員」の生活がこんなにも楽しいことだと初めて知った。


自分のために時間を使っていいんだ!!

そう思った。



毎日デスクに座って、珈琲飲みながらパソコンで仕事をする。


な、なんか、、めちゃくちゃかっこいい!!


毎日がウキウキだった。



だけど、


毎日毎日同じことの繰り返し。
接客のない無言の経理部。
18名もいるのに誰も喋らない空間。
話せば周りの人全員が聞いてるかのように思うその部署は、私の精神を少し壊した。



「ニコニコする必要のない世界」は、当時の私にとっては過酷すぎた。


「接客」を生き甲斐とし、「接客」を通じて自分を表現していた私は、自分を表現する術を無くしてしまった。

接客という仮面のない「本来の自分」で人と接することに慣れていないのだ。

仮面のない自分は、どう人と接したらいいのかわからなくなった。



そして、めまいに襲われた。


自分の車の運転に酔い、エレベーターに酔い、3階に着いて、エレベーターの出口から隣のシステム部を通過して経理部にたどり着くまでに、壁伝いに歩いた。

どこかに手をついていないと歩けなかった。


デスクにつき、パソコンの電源を入れると、ぐわんぐわんと機械音が鳴り響き、自分のパソコンの音も隣の先輩のパソコンの音も気持ち悪かった。


今まで聞こえたことの無い音に襲われた。


仕事を始めるが、印刷してもプリンターまでの3mが歩けない。手すりがないから怖くて歩けない。

そんな状況だった。




「はなさん、心療内科行ってみ?」

上司が声をかけてくれた。


「へ?心療内科?いやいや、私が心療内科?精神は昔から元気ですよ?笑」

笑ってそう答えた。


上司はいつも面白いことを話す明るい方だ。多くの人から慕われ、いつも楽しそうな上司。

そんな上司も心療内科に通ったことがあるらしい。



「心療内科って内科やからね。精神科とは違うから。行ってみ?」

何度もしつこく言われたので、しぶしぶ行ってみた。



心療内科で今の状況を話し、りんごの木の絵を2枚描かされ、舌を見せて診断を受けた結果、

「はなさんは、元々動くことが好きなんだねー。じーーっとしてる環境が合ってないのかも。しかも、今やりたいことがあるんでしょう?やりたいことがやれなくて、“今の環境”が“今のはなさんの心”に一致していないから、心と体が悲鳴あげちゃったんだねー。舌もひどいよーー。あーこれはひどい。すぐ休まなきゃ。」って。


そうなのか..。
実はこのめまいが起こる2ヶ月ほど前から、夫と自営業をする話が出ていた。

私の両親が住んでいる奄美の沖永良部島か、ハワイかどこかで自営業してみたいねーと真剣に話をしていた。


英語なんて話せないけど現地に行ったら何とかなるってーとか、ハワイでショップ運営してみようかとか、カフェしたいなーとか、そんな話を毎晩ウォーキングしながら話していた。


そんな「早く自営業がしたい」気持ちと、「でもすぐに辞めれない」気持ちが、それぞれ逆方向にMAXになり、体がパニックを起こしたのだ。



目眩は病院でもらった漢方薬ですぐに治った。


目眩が治ってからも、いまいち体調が良くなくて、キラキラしていた私は周りに「最近大丈夫?」と声をかけられるくらい表情が曇っていた。

そして、吐き気を催すようになり、妊娠が発覚した。


この妊娠は、私達夫婦に大きな影響を与えた。

子供のためにも、自営業やってみよう!と思った。


27歳。

憧れのOL時代は3年間で幕を閉じた。



離島農家

妊娠8ヶ月のお腹で退職し、その翌日に飛行機に乗った。奄美諸島のひとつ、沖永良部島に移住した。


両親のいる沖永良部島で、農家となった。

この話は語ると長くなるので別途マガジンを書こうと思う。


とにかく、島で夫婦で農家となり、花農家として自営業をし、4年間農業だけで生計を立てた。

自分で決めた時間に起きて、自由に働き、雨の日は休み、出荷の時期は徹夜して働いた。

収穫の時期は、1本5円の花を毎日1万本も切り、倉庫まで軽トラで運び、選別して出荷。

辛い日もあったけど楽しかった。


ただ、生まれてきた2人目の息子の病気には耐え難い医療環境だった。万が一のことがあれば、沖縄にドクターヘリで向かうそうだが、間に合わなかった人の話も聞いた。

いつ痙攣を起こすかわからなかった当時の息子。もし何かがあってからでは遅いこともあり、島を出ることにした。



接客 ~訪問営業~

久しぶりの本土。
マック!ユニクロ!コンビニ!!

4年ぶりに味わう「当たり前の世界」にワクワクしていた。


そして久しぶりのハローワークで、
「今は就活よりも保活が大変よ。」と言われた。



当時、四国は待機児童全国1位。
「日本死ね」が話題になった年だ。


息子と娘を保育園に入れるには、就職しないと預けられない。就職するには保育園が決まっていないと採用されない。

保育園が決まるまでの間、託児所のある職場しか選べなかった。


「泊まり込みの介護職」か、「健康食品の訪問営業」か。
その二択だった。


そして、営業を選んだ。



キラキラした世界は好きだったが、飛び込み営業なんて怖くて出来ないと思っていた。

...が、意外とやれた。


むしろ1人での外回り仕事は私にはピッタリだったようで、のびのびと仕事ができた。

お客様ひとり1人と会話をし、お客様にあった商品を提供するのが楽しかった。


健康食品、期間限定食品、化粧品。

どの分野でも売上上位をとることができた。


楽しかった。
めちゃくちゃ楽しかった。

毎日勉強もしたし、「セールストーク」の本を読んだり、「腸が死んだら人は死ぬ」本も読んだ。

商品の魅力を、お客様それぞれの関心のある話から繋げるのが楽しくて仕方なかった。


毎日が楽しくて、頑張れば頑張るほど売上に繋がり、収入にも繋がり、まだまだこれから頑張るぞーー!!と言う時に、


同期に抜かれた。


彼女はセンター1位どころか、全国レベルで上位となった。

悔しかったが、仲が良かったので悔しいなんて言えなかった。


誰にも言えなかった。
みんな仲良いのに「悔しい」なんて言えなかった。

満面の笑顔で「すごーーー!!!」と言うことで周りと馴染んでいたかった。



まだまだ頑張りたい!!

まだまだやれるはず!!


そう思う反面、「お客様に売る」と言う行為に罪悪感を持つようにもなった。


同期は楽しそうに「売って」いた。



頑張りたいけど頑張れない。
どうやったら売れるのかわからない。
売上の差はどんどん大きくなる。
子宮内膜症悪化。
排卵痛悪化。
熱中症。
盲腸。



体調不良で休んだ日は収入が減った。
歩合制なので売らなければ収入ゼロ。


当時はわからなかったが、今思えばそんな精神的なところから体調を崩したのだろう。毎日漢方薬を5種類も飲んでいた。仕事に行くために薬を飲んでいた。仕事しなきゃお金が無い。寝起きでボーッとする自分にカツを入れるためにブラックのコーヒーを飲んで気合いを入れて、なんかモヤモヤするからアイスコーヒーを飲んでスッキリさせて、でもまだモヤモヤする原因が胃の悪化だと知ったのはつい半年前だった。


なんで私は、他の人みたいに元気じゃないんだ!と自分を責めた。


旦那からも毎日のように

「なんで1位じゃなくて悔しくないん?悔しいんなら1位とりなよ!それくらい負けん気でいかんと勝てんで!」

「なんで15時頃までの仕事でそんなに疲れるん?」

「どんだけ体力ないん?」

と言われる日々。


お客様からも体調を心配されるようになり、

限界を感じた。



頑張れば何でもやれると思ってきた仕事人間だった私が、限界を感じた。


頑張れば頑張るほど体調を崩す。
盲腸で入院もした。
熱中症で救急車にも乗った。

「はなさんは体調崩す人」
のイメージがついた。


あんなに元気だったのに..。




キャパオーバーしたのだと思う。




そして、今の仕事で収入を増やすことが困難だと判断し、家でもできる仕事を探し始めた。今の仕事は大好きだ。でも体がついてこない。仕事をしながら、家でもできる仕事...ブログやアフィリエイトなどのネットビジネスにたどり着いた。

ワードプレスでブログを始め、カスタマイズするうちににwebデザイナーになりたいと思うようになった。


そして、大好きだった営業の仕事が辛いと感じるようになった。


雨の日も、真夏の暑い日も、雪が積もった日も行かなければならない。

笑いたくもないのに笑わなきゃいけない。


そう思った。


そんな気持ちでお客様と接することが申し訳ないと思ったし、頑張る仲間にも申し訳ないと思った。



そして、
転職した。




おでんの具みたい。

私にしては珍しく、大手じゃないところを選んだ。

と言うよりwebデザイン未経験者の35歳主婦を雇ってくれる会社なんてほぼ無かった。


くまモンみたいな社長にねずみ男みたいな店長、ワカメみたいなヘアスタイルのおじさんに、ガンもどきみたいな膨れ上がったパートさん。


「おでんの具みたいやな」と思った。


そんな会社での面接。

私が離島移住したことを面白いと言ってくださり、「好奇心旺盛」によって採用が決定した。


あまり乗り気ではなかった。

お給料もそこまで高くないし、会社も古いし、平均年齢50代だし、全然ワクワクしなかった。


旦那は「この今の社会で正社員で雇ってくれるところなんて無いんやで!ありがたいと思わなきゃ!」と言っていたが、「それよりも独立してwebデザイナーになりたい」などと思っていた。


でも「もし合わなければ辞めて大丈夫だよ。無理して体調崩したら意味無くなってしまうし。」とも言ってくれた。

言葉はきついが、体調は心配してくれている。
ここ数ヶ月、揉めに揉めたおかげで自分と嫁は価値観や体調が違うことを理解してくれた。



そして、
私も「おでんの具」となった。




現在、入社10ヶ月目。

今ではweb受注、伝票作成、webデザイン担当、バナー作成、チラシ作成、電話応対、商品管理など、幅広く仕事をしている。

家族経営なので、親戚の人が集まって話すようなたわいも無い会話が社内で大声で繰り広げられるし 親子喧嘩はしょっちゅうだし、「話し方のセンスもなく、田舎だなぁー」と思うこともある。



ただ、私がすることを褒めてくれる。

社長が「すげーーなー!!!」と感動してくれる。



ちょっとエクセルで表を作るだけで、それが社内のテンプレートとなった。今後受け継がれるものとなった。

ひとつひとつ手入力していたものをCSV一括入力したら驚かれたり、バナーをつくって大絶賛。パソコン教えたら「すごーい!さすが!」と。


私にしたら「そんなこと」。
でも、社内の人からしたら「すごいこと」。


そんな世界ってあるんだ..と思った。



無理にニコニコしなくても大丈夫だし、クレーム対応が終わって電話を切り、「怖かったよー」と言えば笑いが取れるし、調子悪い時は「今日調子悪いんですよねー」と言えば「わかるー!私もー!雨降るんかなぁー」と三半規管トークで盛り上がる。


わからないところを教えてくれる優しい上司は、問題が解決すると「今の5000円な」と請求をかけてくるし、そんな上司に育てられた私は、パートさんにパソコン教えるときに「私、7000円ですけどいいですか?」と笑って声をかけ「俺より高いやん!」と後ろから聞こえてくる。

ほんわかした環境。
少し話すだけで、すぐに笑ってくれる環境。


「これやっといてー。わからんかったらGoogle先生に聞いてー」と未開封のパソコンの初期設定を任せる上司。

やったこともない仕事だったが、ひとつひとつ調べてメモしてマニュアルを自作して、今では初期設定のプロとなった。4台設定完了という記録を日々更新している。


20分の予定だった社長との面談が盛り上がって、気づけば2時間、相談相手となっていた事もあった。




このほわほわした環境で過ごすようになって、

「今まで無理してたんだな」って思えた。




環境が変われば「普通」は変わる。

私はHSS型HSPという気質に該当する。

好奇心旺盛で思い立ったら即行動。思いつきで動くから、無計画で防具無しで勢いで進んでぶつかるタイプ。

そして、感受性が深い。
人の行動や目に映るもの、耳から聞こえてくるもの全てを深く受け止めてしまう。


そして、些細な一言で自分を深く責めてしまう。



そんな自分の気質に気付いたのは、つい2年前だ。
ブログやアフィリエイトを始めるようになって、Twitterで知った。


今まで生きてきた世界は「頑張らないと置いていかれる世界」で、普通に生きてたら除け者にされる世界だった。


背筋の悪いホテルマンなんてカッコよくないし、無愛想な接客なんて有り得ないし、売上の良くない営業なんて価値もない。

仕事できないやつは、ダメなやつ。
頑張らないと差をつけられて当然。
できない自分が悪い。
努力不足な自分が悪い。
みんな頑張ってるんだから頑張らなきゃ。
体調崩すのは自分が体調管理できていないせい。

そう思ってきた。




でも違った。



“選ぶ環境”が合ってなかったんだ。




あれほどキラキラした世界に憧れていた私は、キナリ色のふわふわした服を着てペタペタ歩き、大きなピアスをつけて、胸までのロングヘアをまとめること無く出勤している。


漢方薬も今はひとつも飲んでいない。


わからないことは「これ、わからないので教えてください」と言えてるし、それを“好奇心”と評価してくれる環境。


仕事中にカレンダーの裏紙で“動く鶴”を折ってバッサバッサ羽を動かしながら近づいてきて、「凄いやろー!俺、こんなことしてる場合じゃないねんけどな。」と席に戻っていく上司がいる環境。



この環境になってわかったことは、
「仕事は、私一人でするものではない。」
ということ。

「仕事はみんなでするもの。」

「得意な人が得意な仕事をして、苦手な人は得意な人に任せればok。」

「調子悪い時は調子悪いと言ってok。」

そんな環境があることを知った。



以前までの私は、自分の仕事は全部自分でするべきだと思っていた。責任感が強かった。誰かが「手伝おうか?」と声をかけてくれても、「(その方も忙しいはずだから..)大丈夫です😊」と断っていた。


それが今では、
手を差し伸べてくれる人には「えぇっ!!いいんですかー?✨お願いしますっ!!お金払ってでもお願いしたい!」と堂々と助けてもらっている。


だって早く帰りたい。

帰ってイラスト描いたりnote書いたりしたい。



力を抜いて働くことが私らしい働き方。

本業は2割~3割の力量でできるようになった。

残りの5割は、趣味であり複業であるイラストを描いたりnoteを書いている。

いかに力を入れず、自分の能力だけで生きていけるか?に挑戦している。


そして、残りの2割~3割は遊ぶのだ。




これが、やっと見つけた「私らしい働き方」。

キラキラした世界じゃなく、ほわほわした世界で力を抜いて働くことを大切にしている。


2割の力量でも充分求められるし、評価される。
そんな世界がある。



今、働くのが辛いとか苦しいとか、そう思ってしまう方も環境が変われば「へ?こんな事で喜ばれるの?」と思える環境は必ずある。


今の場所で一生懸命咲くのもいいが、ポーっとしてるだけで満開に咲ける場所を求めて探し始めるのもいい。


少しの勇気を振り絞れば見つかるはず。


誰もが、その可能性があると信じています。



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