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長女がトーコーキョヒでして<2>

【”登校拒否”の理由】
<”不登校””ではなく”登校拒否”
と表現することの理由>

 単純です。
 学校に行けないのではなく、行きたくないからです。

 私は、すべての子どもが学校に行くべきで、行かせなくてはいけない、と考えている訳ではありません。
 学校というシステム、空間といったものが合わない、合わせたくない子どもというのも、居ると思うし。
 学校に明らかな害あるいは悪が存在している子どもも、居ると思うのです。
(それは、イジメであったり、教師との軋轢であったり、あるいは体質的な問題だったり様々)
 それなら行かなくてもいい、むしろ行かない方が良いのでは? と考えています。

 ではなぜ私は自分の長女が
「学校に行きたくない」と言っているのに行かせているのか。

 彼女は、学校という規律がある中で生活することが、比較的得意だし、好ましいとも思っているのです。
 集団生活が苦痛ということでもなく、皆で一緒に授業を受けることも好きです。
 ただ、彼女にはそれでも行きたくなくなるような壁が、時々現れるようで。
 その壁を感じたら回れ右してしまう、敏感さと繊細さが、行きたくない気持ちにさせているようなのです。
 ほんのちょっとの”イヤ”とか”怖い”で、大切な時間、経験を投げ出してしまうのは惜しい。
 壁を越える、壊す、回り道する方法を模索しながら、継続して登校する、というカタチで進めています。
 本人の意志ではないのでは?
 単に親のエゴを押し付けているのでは? と思われるかもしれません。
 でも、私は。
 長女本人と3年生の時から何度も話し合っています。
 最終的に自分で選択しなければ、どうしても”ひとのせい”にしてしまうので。
 あくまでも現時点では、彼女の中に学校の楽しさ、行きたいキモチ、学校でしかできないこと、自分の力で得たお友だちとの時間などなど。
 学校に行こう、と思える要素がたくさんあるので、登校しています。

 次女は小学校1年生なのですが、実はそちらのほうが不登校になりそうな要素が強いです。
 なので、姉妹でもこの先全く違うアプローチが必要になるであろうということも、なんとなく感じています。
 子どもの数だけ、子育てのカタチも色々ですから。

 ”不登校”であれば、学校ではないどこかへの道を。
 ”登校拒否”であれば、学校に行けるための道を。
 それぞれ模索することになるのかなと考えながら暮らしています。
 

道産子の津軽在住2児の母。登校拒否長女との日々雑感と、しあわせに生きる”ちょこぽじ”のススメ。